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集団規範の再生~1「プロローグ」

現状の家庭や教育環境を取り巻く様々な問題の根底には、規範の崩壊という原因があります。

そして、規範の崩壊に対する目先的な対応策として、様々なマナーや法律が作られ、いつの間にやらドンドン住みにくい社会になりつつある様に感じています。マナーファシズムの時代といっても、過言ではないでしょう。

しかし、規範とは「不文律」の世界。即ち、言葉化せずとも通じる共認事項として、かつては人々の間に浸透していたものでした。

何故不文律でありながら人々に浸透していたかというと、それらは成功体験・充足体験の結晶物であったからなのです。自然外圧や、同類圧力(地域間闘争など)において、『こうすれば上手く行く』という集団としての闘争適応の積み重ねこそが、規範を成立させる基盤であったのです。

ところが、現代社会はトコトン集団(共同体)が解体され、各個人・各家庭、といった『個』の尊重ばかりが推し進められ、規範そのものが成立しない社会構造となり、決まりの悪い環境において言う事を聞かないものは「法律」という強制圧力 👿 によって取り締まる、という何とも後味の悪い世の中になってしまいました。

ついには裁判員制度までもが一方的に定められ、規範無き世の中において「個人的な判断」によって人を裁く事すらも強制される社会になってしまいました。これでは、本来共生・協働関係にあるはずの人間同士が、益々警戒心を抱かざるを得ない状況へと向かってしまいます。

そこで、改めて日本人の築いてきた「集団規範」に目を向け、今でも残されている規範意識の出所、背景、効果を再確認し、かつその規範を構造化・言語化する事によって再度みんなにとっての規範再生の一助となる事を目指したいと想います。

続きの前に、応援よろしくお願いします 😉

特に、近代国家の基盤でもあった市場経済の崩壊(金融破綻)は今後の社会においても壊滅的なダメージを与える可能性が高く、近代思想、あるいは新自由主義といった誤った価値観を正す為にも、そして先進国が共通で抱える社会閉塞の限界を超える為にも、この日本の培ってきた集団規範の再生はとても重要な位置を占めると予測されます。

そもそも、社会という言葉の語源は、「やしろ(社)の元に集まる(会する)」というところから来ているそうです。これは、縄文時代からの精霊信仰、自然に対する畏怖の念、感謝や祈りを捧げるためのものや、集落の掟を定めるとき等に人々が村の中心に集まる様子を表したものだそうです。

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このような言葉の由来からも解るように、日本人にとって社会とは「みんなのもの」であり、その社会をどーするか?もみんなの意思によって取り決めてきた歴史があります。

という事で、シリーズ物として「集団規範の再生」を追求して行きますので、皆さんも一緒に学んでいきましょう!

きっと、日本を見直す良いきっかけになるはずです!!

お楽しみに。

かわいでした。

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