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【性教育って・・・?!】~性の時代変遷~

 さて、性教育シリーズもいよいよ後半です。

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 ここで軽く、前回までの投稿のおさらいをしてみましょう。

その1~性教育ってなに?!~ [1]
・性教育は、最終的に価値論争に陥ってしまう。(現代では特にその傾向は顕著である)

・これは性教育が何のために必要なのかという根幹部分がグラグラだからである。

その2~性教育の歴史①~ [2]
・かつての日本の農村では、村をあげて性教育を行なっていた。(オコモリ)

その3~性教育の歴史②~ [3]
・ネイティブアメリカンにおける性教育とは、男女がそれぞれ果たすべき役割を教えることである。

・日本の性教育において、ごっそり抜け落ちているのは、男女本来の役割や規範について教えること。

その4~自分発からみんな発へ~ [4]
・集団や社会から切り離された、婚姻や性関係はほんの50年くらいしかなかった。逆にこの50年を除けば、性は社会とつながっていた!

 これらの論点から見えてくるのは、かつては性は集団や社会と密接につながっており、それゆえに性教育も重要な位置付けにあったのだと考えられます。

 そこで今回は、時代変遷を追いかけて性と社会のつながりを追及していきたいと考えています。

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 まずはこの大作図解をご覧ください。これは、本ブログの友好サイトの「知られざる人類婚姻史と共同体社会」ブログ(リンク [5])よりお借りしました。

[6]

 まず1つ目の驚きは、これをみればわかるように、婚姻制度というのは必ずしも1対1の関係ではないということです。

 例えば、江戸時代ならば集団婚とか夜這い婚という婚姻形態が存在します。詳しくは(るいネットより:リンク [7])を参照ください。

 そして実はその婚姻制度を規定しているのは、外圧状況なのです。

 江戸時代の農村などは、外圧として最も強烈なのは自然圧力と貧困圧力です。そんな状況で、特に農村において、性や財に対する私有意識は非常に小さかったといえます。(簡単に言うと、村のものという意識はあるが、自分のものという意識は無いということ)
 そういった意識の元、集団を原点とした性のありかたが生まれ、性教育シリーズの“その2”で紹介したような、村上げての性教育に繋がっているのです。

 さて時代を追うごとに、外圧状況は変化していきます。

 明治や大正時代の婚姻制度はというと基本的には1対1の婚姻様式でほぼ制度としては、現代とあまり代わりがありません。

 しかし、決定的に違うのは、結婚する相手は基本は家長(その家の長、父親です)が決めるのが普通だったということです。
 これは、家と家のつながりや付き合いで決められることがほとんどでした。

 いい家に嫁ぐための素養を身につける、いわゆる花嫁修業も大きくは性教育の1つだと捉えられると思います。

★では現代はどうなのか?
 
 今の婚姻制度は1対1、しかも結婚を決めるのは当人同士の同意があればよいということになっています。そして事実、恋愛結婚が主流です。

 これは何を意味するのかというと、結婚が「個人の好き嫌いのみ、いわゆる価値判断のみで決定されている」ということです。

 まさに“その4”で語られている、「まったく社会とつながりを失い、だれの期待も受けない性」の登場です。

 そして、そのような性が登場すると同時に、「性教育」もその存在意義を失ってしまったのです!

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