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え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@1960年代の流行語

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永遠のスター石原裕次郎と北原三枝こちら [1]からお借りしました

『え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配』シリーズも5本目と成りましたが、今回は、コーヒーブレイクとして、戦後、特に1960年代前後の【流行語】を紹介しようと思います。以下「明治・大正・昭和の新語・流行語辞典(米川明彦著)」からピックアップして掲載させて貰いました。
戦後≒アメリカ化の流れが垣間見れて興味深いものがあります。特に若い人は、戦後、日本の社会にどんなことがあったのか知る上でお薦めですね。

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58年【いかす】
かっこいいの意。人気絶頂の石原裕次郎が日活映画で盛んに使い、この年から若者に流行した。『サンデー毎日』(1959年3月8日号に)に「『イカす』だの『コッテリ』だのと、感心しない隠語が近頃の流行だ。」とある。当時、東京新聞に連載していたものをまとめた丸山鉄雄『歌は世につれ』(1983)に「石原裕次郎が、映画の中で使ってはやらせた「いかす」も流行歌に盛んに取り入れられている。~(略)~

59年【カミナリ族】
バイクのマフラーを外して爆音を轟かせ、飛ばすスピード狂の暴走族。「マッハ族」とも言う。「朝日新聞」(1959年8月18日朝刊)に「オートバイ、オート三輪の事故が目立っている。とくに「カミナリ族」のオートバイは昨年より40%もふえている」とある。(山田追記:このころは、裕福な家庭の師弟が大半だったよう)

59年【私の選んだ人】
3月2日、昭和天皇第5皇女清宮貴子内親王が二十歳の誕生日を向かえて記者会見を行なった。記者に好きなタイプを聞かれて、「私が選んだ人を見ていただきます。それが私の好きな人のタイプです。」と答えた所から、「私が選んだ人」が流行語になった。~(中略)~その茶目っ気ある愛くるしいお人柄が、ひとしお人気を高め、国民の間にも親愛感を高めた」とある。

59年【核家族】
英語のnuclear familyの訳語。アメリカの人類学者G.P.マードックの用語。第2次世界大戦後しばらくして日本に入ってきた概念で「核心家族」と訳されたが、この年、「核家族」に定着。

62年【マンション】
東京の不動産業者が初めて使用。『朝日新聞』(1964年6月29日天声人語)に「このごろの奇妙な用語の氾濫はすさまじい。アパートなら分かるが、マンションだの、アビタシオンだの、レジデンスだの、さてはスカイコーポだの、いったいどう違うのやら」とある。

61年【レジャー】
英語のleisureの本来の意味は「余暇」であるが、日本では遊びや観光の意味でこの年から盛んに使われだした。~(中略)~この年、日航国内線の年間乗客数が初めて百万人を越え「レジャーブーム」になった。サントリーはこの年、「トリスを飲んでハワイへ行こう!」という広告を出した。

61年【プライバシー】
英語privacyで、3月15日、有田八郎元外相が三島由紀夫「宴のあと」(1960)でプライバシーの権利を侵害されたと、三島と出版社の新潮社を告訴した。同書は有田の私生活を描いたものであった。この事件から「プライバシー」が知られるようになった。

61年【マイカー】
12月20日に星野芳郎「マイ・カー」(光文社)が出版され、ベストセラーになり、翌年から「マイカー」が一般化した。同書に「『1件の住宅よりクルマを』という声は、年を追って高くなってくるに違いない。家庭電化の普及がそろそろ一段落しかかっているということは、こうした事情をいっそう促進するものだし、日本のマイカー時代の到来を語るものと、言える」とある。

62年【教育ママ】
教育熱心な母親を冷やかしていうことば。造語者は重松敬一ではなく、マスコミ。「朝日ジャーナル」(1967年7月16日)に~(略)。

63年【OL】
OLが使われる以前にBGが使われていた。BGはビジネスガールの頭文字である。~(中略)~BGはアメリカ俗語で売春婦(バーガール)を意味するのでよろしくないと識者から指摘され、NHKは63年9月、放送禁止用語にした。そこで、雑誌「女性自身」編集部が11月にBGに代わる語を公募したところ、一位が「オフィスレディ」だったことから、「OL」と頭文字かされて使われた。

63年【かぎっ子】
両親が共稼ぎのため、首などに家の鍵をぶら下げている子。~(中略)~『サンデー毎日』(1963年6月23日号)に「共かせぎ夫婦のための『かぎっ子』保育」とある。

64年【おれについてこい】
東京オリンピック女子バレーボールチームの優勝監督大松博文の『おれについてこい!』(1963)から出たことば。同書は1962年の世界選手権でソ連を破って優勝を成し遂げるまでの苦闘を書いたもので、オリンピック後、ベストセラーになり、流行語になった。『朝日新聞」(1975年12月31日天声人語)に「はやり言葉も、ひところは『俺について来い』『オー・モーレツ』と勇ましかった」とある。~(略)

67年【大和魂】
4月30日、プロボクシング世界ジュニアウェルター級タイトルマッチで挑戦者の藤猛(ハワイ生まれ日系3世)がKO勝ちした時、リング上で叫んだことば。『朝日新聞』(1967年5月2日天声人語)に「『シンデモヤル』『ヤマトダマシイ』。久しぶりに聞いたなつかしい言葉である。」とある。

69年【オー!モーレツ】
丸善石油のガソリンのテレビCMで、小川ローザが疾走する車の風にまくり上げられたスカートを押えて言うことば。流行語になった。~(略)~

64年【みゆき族】
春から夏にかけて東京のみゆき通りを目的もなくぶらぶらする若者達が出現した。男子はバーミューダパンツにハイソックス、女子はロングスカートで、麻袋をさげて歩いていた。~中略~『プレイボーイ』(1973年12月18日号)に「31年の太陽族は、36年の六本木族になり、39年には、例のロングスカートにぞうりばき、ズタ袋をさげた<みゆき族>へと若者の風俗が受け継がれ」と若者の風俗の変遷を述べている。

62年【無責任時代】
7月に封切りされたクレージーキャッツの植木等主演の東宝映画『ニッポン無責任時代』から出たことば。また映画に主題歌「無責任一代男」もヒットした。「無責任」が大衆の共感を呼んで大流行した。それ以前に植木等が歌う「スーダラ節」(1961)がヒットし、「スイスイ」「わかっちゃいるけどやめられない」が流行し、その他、映画や歌から「関係ない」「いいからいいから」「気にしない気にしない」~(中略)~などが流行語となった。

65年【おめえ、ヘソねえじゃねえか】
前年からテレビCMで流されていたコルゲンコーワの「おめえ、ヘソねえじゃねか」がこの年、日本語論争から教育論争にまで発展した事件になった。ことは『読売新聞』(1965年1月7日)に掲載された主婦の投書「あまりにひどい言葉遣いに驚きます」と非難したのに始まる。これをきっかけに賛否両論合戦が繰り広げられた。『朝日新聞』(1965年1月11日天声人語)に「CMの登場人物が子どもなので、あちこちの家庭でもまねるのだが、乱暴なことばづかいだし、見ていて可愛げがない。CMとしてもまずいし、『気にすることもねえじゃねえか』とはゆくまい」と書いている。

65年【マジメ人間】
山口瞳『マジメ人間』から出たことば。以後、「遊び人間」「仕事人間」など「~人間」ははやる。(山田注記:古い規範が壊れてきたので逆にこのような言葉が流行した?)

67年【フーテン】
夏、東京新宿駅東口に現れた汚い風体で髪を伸ばし、奇声を発して通行人に金をせびる若者。『週刊朝日』(1967年8月18日号)に、「ただ生きるだけ。ボクは必然的にフーテンになったんだな。意識としては社会に参加せず、無目的、無生産なんだ。ただ、ぼやっとしているだけなんで、怒りとしても何としても、形に表すのはゴメンなんだ。」とある。~(略)~

67年【蒸発】
周囲の人間にまったく心当たりがないのに、ある日、突然失踪すること。作家藤井重夫の命名。「人間蒸発」とも。そういう人を「蒸発人間」と言う。『朝日新聞』(1967年7月15日号)に「警察庁は、長期にわたる家出人身元のわからない死体など、「蒸発人間」が、全国で、86,254人もいることがわかったので」とある。

69年【ゲバ棒】
「ゲバ」はドイツ語ゲバルト(Gewalt)の略で暴力。「ゲバ棒」は全学連が学生闘争用に用いた角材・鉄パイプ。そのような学生を「ゲバ学生」と呼んだ。学生運動用語。派生語に「ゲバる」がある。『週間読売』(1968年9月20日号)に「『ゲバる』はすでに一般に知られるように、ドイツ語のゲバルト(権力、暴力)が語源で、やっつけるという意味」とある。『平凡パンチ』(1973年4月9日号)に「『アタシ昨夜、彼の部屋でゲバられちゃった』的な使い方をされ「ヒドイこと」の俗称。~(略)~

69年【断絶】
数年前から使われていた世代間のギャップを表す「断絶」は3月刊のドラッカー『断絶の時代』(林雄二郎訳、ダイヤモンド社)によって流行語になった。~(中略)~「断絶」は流行語になり、絶望感のあらわれそのものの表現とさえなりました。~(略)~

70年【しらける】
学生運動の挫折後の虚脱、虚無的心境。『週刊朝日』(1970年6月12日号)に「しらける のらない。気分がでない。感動しない。...実によく使われる。去年の11月、『蒲田闘争』で新左翼闘争がひとつのピークを超えた時から使われ始めた」とある。

どうですか、ちょっと長かったですねスミマセン。今回調べて分ったのは、
60年代(高度経済成長の時代)は、改めてものすごい勢いでいろんなことが起こったんだなという点。60年代になって「マイカー」「レジャー」「マンション」と一気に豊かさの象徴がでたと思ったら、直ぐに家族のガタガタ傾向が現れる(教育ママ)。後半に向けて活力もどんどん上がるが(オーモーレツ、俺について来い)、人間破壊現象(植木仁の無責任、みゆき族?、蒸発、学生運動、しらけ)に一気に突入といった感じ。

②そして、もう一つは、最初にあげた【いかす】の流行や石原裕次郎の人気のこと。これが1950年代だったとは随分早い時代だったんだなとビックリ。
つまり、1960年代の経済成長で生活、社会が変わり日本人は変わったと思っていたのですが、50年代には彼らが映画で作り出す「いかす(かっこいい)」姿をはじめとして、音楽、映画などを通してアメリカ流のライフスタイル、価値観に染まり日本人は随分変わっていた。その結果として(それらを求めて)高度経済成長の時代【豊かさ追求の時代】がやってきた、という関係なのかな?と感じました。機会があれば、このへんもっと調べたいと思いました。

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