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え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@日本の教育

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この写真は、福井県立藤島高等学校のHPより、お借りしました 😉 。(リンク [1]

こんばんわ。hajimeです。『え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@‥』シリーズ第4弾。ここでは、日本の戦後教育について、考えてみたいと思います。

6・3・3の12年。これは、高校までの教育年数ですね。ちゃんとした大人になるべく、また、社会人として戦力となるべく、その準備期間として制度化されています。そして、その期間に得られた、知識や教養・人間関係等、現在の大部分の日本人にとって、物事のとらえ方や行動の基盤になっているといっても、言い過ぎではないのでは?と思います。

日本の教育は、戦前では「教育勅語」、戦後は、「(旧)教育基本法」が、その羅針盤となり教育のあり方を示してきました。そして、2006年12月に、「(新)教育基本法」として改正され、現在に至っています。

しかしながら、現在日本においては、様々な問題が山積し、またその答えが出せないという、収束不全の社会となってしまっています。それには、いろいろな要因があるかと思いますが、戦後60年間にわたる教育のあり方も、その大きな要因として捉えざるを得ないでしょう。

今回は、現在のほとんどの日本人が受けてきた、戦後教育の羅針盤(旧)教育基本法ついて、調べてみたいと思います。

そしてそこには、またもやアメリカの影が…

ポチッとお願いします。
 

(旧)教育基本法は、1947年3月31日に施行されています。1946年6月の日本国憲法改正案審議の段階で、既に教育に関する根本法が構想され、日本国憲法施行に先駆け、教育基本法が施行されています。早いですね!それだけ、戦後の日本人の教育が重用視されていた、ということでしょう。

そしてそれは、(旧)教育基本法前文により、明確に読み取ることができます。

『(旧)教育基本法前文』
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

では、法施行までの成立経緯を、見てみましょう。

1945年 8月15日:終戦
       9月15日:「新日本建設の教育方針」発表。文部省より。
              (その後、GHQにおける各指令により、用をなさなくなる)
      10月22日:「日本教育制度に対する管理政策」に関する第1指令
              ~連合国最高司令部(GHQ)より。
      10月30日:「教員及び教育関係者の調査、除外、認可」に関する第2指令
               ~GHQより。
      12月15日:「国家の神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、
             監督並びに弘布の廃止」に関する第3指令
              ~GHQより。
      12月31日:「修身、日本歴史及び地理の停止」に関する第4指令
              ~GHQより。
ここまで、軍国主義的、極端な国家主義的な思想や教育の排除を目的に、緊急的な教育面の戦後処理=占領政策が行われた。
1946年 3月 5日:第一次米国教育使節団来日~GHQの招請。
              同時期に、日本教育家の委員会設置~GHQよりの指令。
       3月  末:米国教育使節団報告書。(=勧告=命令)
       5月    :「新教育指針」発表~文部省より。
この間、新しい教育理念の啓発普及が行われる。
       8月   :教育刷新委員会発足。
              (敗戦の原因は、せんじ詰めれば教育の誤りにあり、第2の
              維新を遂行するその根本に、教育の刷新がある、という位置
              づけで発足)
1947年 3月31日:「教育基本法」施行~文部省より。
この間、新たな戦後教育制度の実施に向け、その基礎となる法律が制定される。
       5月 3日:「日本国憲法」施行。

まずは、スピードに注目したい。
終戦2ヶ月後には、GHQより「日本教育制度に関する管理政策」が指令される。その後、その具体策として、第2~第4指令が矢継ぎ早に指令される。終戦以前より既に「日本・軍政下の教育制度」なる文書が作成され、戦後の日本に対する教育の方向性は、既に決まっていたようである。その目的は、アメリカにとっての「脅威の除去」。一言で言えば、集団性・共同体性の解体

次に、教育基本法成立に至る、巧みさに注目したい。
・「新教育方針」を、文部省が発表。
・戦後教育制度実施に向け、教育刷新委員会による、その基礎となる法律案の審議。

1946年3月の「米国教育使節団報告書」以降は、あたかも日本が主体的に、新しい教育制度を構築していったように見える。

これをもって、「戦後教育は、日本がイニシアチブをとって改革し、近代教育の道筋を示した。」とまで言う専門家もいるようである。

しかし、「新教育方針」の中身を見てもらいたい。非常に長い書なので、はしがきの一部のみ、転記します。さらに具体的な中身を見たい方は、(リンク [2])を参照してください。

はしがき
本書は新しい日本の教育が、何を目あてとし、どのような点に重きをおき、それをどういふ方法で実行すべきかについて、教育者の手びきとするためにつくつたものである。すなはち第一部前ぺんでは、新日本建設のために何が必要であるかを論じ、それとの結びつきにおいて新教育の目あてとすべきことがらを述べ、後へんでは、それにもとづいて、これからの教育がとくに力をそそぐべき重点をあげて説明した。第二部はこれらの目あてや重点を、学校教育の実際において、どんな仕方で実現すべきかを説いたものである。いひかへれば、第一部は新教育の理論を述べ、第二部はその実際を取り扱つたものといつてもよいであらう。
(中略)
本書は、はじめ省外の権威者数氏をわずらわして草案を得たのであるが、マッカーサー司令部と相談の結果、その内容及び表現を、できるだけ、やさしくわかりやすいものとするために、省内で書きあらため、本省の責任において出すことにした。とくに漢字の制限については本省も大いに意を用いているので、ここでもそれを実行し、さしあたり昭和十七年に国語審議会が常用漢字と定めた千百三十四字の制限内で本書を書いた。このような事情であるから、最初に貴重な草案を寄せられた各位に対し深く感謝するとともに、その大部分が全くかわつた形で出されたことにつき、承認をこう次第である。

なお印さつ・製本などの実情を考え、一日も早く皆様の手に届けるため、全体を数冊に分けて出し、付録の『指令』も別冊として送ることにした。読者において、最後に順序よくまとめられることを希望する。

旧仮名使いの文章という事を差し引いても、何となく読みにくくないですか?
「平仮名が多い」。また、何となく言葉使いが、「平易」。

それは、米国教育使節団の報告書の中に、「漢字の習得に時間を割くのは、他の知識の習得の阻害要因になっている。なので、漢字は全廃。仮名は、ローマ字表記とすること」とあり、「新教育方針」はその意を受けての文書。さすがに、漢字の全廃→ローマ字化は回避できたが、使用漢字数の制限や、平易な言い回し等を用い、その後、国語の簡易化が行われていくこととなる。

また、各部・各編の内容も、
「今までの日本人はダメ。これからは、アメリカの考え方を学び、新たな日本人になっていかなければならない」ということが、「これでもか!」というくらい書き連ねてある。

「マッカーサー司令部との相談の結果…省内で書きあらため…」。この一文が、全てを物語っているのではないだろうか。占領下での相談である。意向伺い以上の何ができるのか…。

ちなみに、米国教育使節団の報告書の内容は、教科書のローマ字化以外、全て実現されたとのこと。その中には、子供が主催するホームルームや、子供が自ら選挙で選ぶ生徒会の導入も示され、民主主義や個人主義を育成する「優れた授業」であるとされた。PTAの導入も、ここに示されている。そして、男女共学も…。

参考までに、「教育指針」の目次を掲載しておきます。

第一部
前編 新日本建設の根本問題
 第一章 序論-日本の現状と国民の反省
 第二章 軍国主義および極端な国家主義の除去
 第三章 人間性、人格、個性の尊重
 第四章 科学的水準および哲学的・宗教的教養の向上
 第五章 民主主義の徹底
 第六章 結論-平和的文化国家の建設と教育者の使命

後編 新日本教育の重点
 第一章 個性尊重の教育
 第二章 公民教育の振興
 第三章 女子教育の向上
 第四章 科学的教養の普及
 第五章 体力の増進
 第六章 芸能文化の振興
 第七章 勤労教育の革新

第二部 新教育の方法
 第一章 教材の選び方
 第二章 教材の取り扱い方
 第三章 討議法
      附録一 討議法の実際
      附録二 参考書籍
 附録 マッカーサー司令部発教育関係指令

その後、戦後教育制度の実施に向け、文部省が要綱案を作製し、教育刷新委員会での審議、国会での可決という流れで、教育関連の法案が制定されていく。しかし、教育刷新委員会はGHQの実質的支配下におかれ、米国教育使節団報告書の範囲を越えないかぎり、自由に活動することは許されなかったようである。

そしてその後、「(旧)教育基本法」が制定されるが、そこでも「伝統の尊重」という文字の表記さえ、GHQに拒否された。

かくして、日本の文化や歴史の否定、同化能力の源とも考えられる国語を解体した上で、民主的な教育とは、「個人の価値と尊厳を認めること」にあり、「個性の完成、人間尊重」を基本的な教育理念とする教育体系がスタートする。即ち、日本人独特の「共同体性の解体プログラム」である。

それが、2006年まで、約60年間続いた。

1952年、サンフランシスコ平和条約において、日本国民の主権が回復されたと、習いましたよね。しかしその時既に、「時間と共に日本人は消滅する」、という教育カリキュラムの基礎が、完成していたのです。そして、「日本人の思考停止」へのレールが敷かれたのです。

○戦後教育の大きな流れを見るなら、
【戦後教育改革の流れ図解】
リンク [3]
○思考停止を見るなら、
【近代思想に立脚した教育は子供を思考停止させる】
リンク [4]
○日本語の魅力を見るなら、
【日本語で共認充足したい。】
リンク [5]

(参考資料)
・探検コム(リンク [6]
・中教審審議会(リンク [7]
・日本政策研究センター(リンク [8]
・ぶん蔵(リンク [9]
・文部科学省
 学制100年史より(リンク [10])(リンク [11]
・GHQ指令(日本教育制度に対する管理政策等)(リンク [12]
・米国教育使節団報告書(リンク [13]
・Yeonsoのページ 新教育指針(リンク [2]

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