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2009年06月30日

全人教育って、なに?-3 @村落共同体の教育

『全人教育って、なに?』の第3弾、昔の事例としてかつての村落共同体の教育にスポットを当ててみます。

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写真は、こちらからお借りしました。

かつての村落共同体では、「よき村人」になることが教育の大きな目標でした。

かつてよき村人といわれるものには先ずなによりも村の風をよく理解してこれに従うことであった、つまり村の色によく染まることであり、これは一見自らの個性をなくすように見えるけれども、それによってむしろ個性が生かされたものである。(宮本常一著「家郷の訓」より引用)

この「よき村人」になるための村落共同体での教育とはどのようなものだったのか?村落共同体の教育に迫ってみます。

※以下、宮本常一著「庶民の発見」を参考にしました。

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「よき村人」になることを目標とした村落共同体での教育とは、具体的には「生活技術の伝承」であり、それには2つの側面がありました。

■それぞれが生きてゆくための方法や手段を身につけていくこと

これは農作業などの仕事を通じて次第に身につけていくもで、もっぱら家において両親、家族から学ぶ教育です。

仕事についての訓練はおおよそ10歳くらいから始まったようです。農家での子どもの仕事はまず荷物の運搬から始まり、次第に草刈り、草取り、たきぎとり、麦踏み、くれ打ちなどの仕事が任されるようになります。また、家では、ぞうりつくり、なわない、米麦つき、家畜の世話などがあり、女の子ならば子守や炊事の手伝いをしました。そして、これらの作業の「コツを覚える」「コツを呑み込む」ことが出来れば「一人前」とされました。

農耕でいえば、田をうちおこして畝たてができ、肥桶をかつぎ、牛馬をつかうことがきれば「一人前」。女ならば、糸つむぎ、機織ができるようになり、着物が縫えるよになれば「一人前」といわれたようです。

この「一人前」の注目点は、「一人前」の基準は村ごとに決まっていて、「一人前」だと認めるのも村の人々だった、ということです。

なぜ、「一人前」の基準決まっていたか?それは村の協同作業を効率よく無駄なく行うことができるからです。どれだけの人数が必要か?それだけの期間が必要か?などを先読みするこができた訳です。つまり、「一人前」は個々人の能力の判断材料としてだけではなく、より重要なのは集団としての能力を把握するための基準であることです。

村の協同作業に担い手として認られることが「一人前」ということですね。みんなに求めらた基準(期待)があることは、子供たちにとっての目標であり活力源だったのでしょうね。もっとも、「一人前」になったら終わりではなく、もっと仕事ができる人は、「一人前半」「二人前」など呼ばれたようです。

■若い人々に社会的な存在としての性格をうえつけていくこと

村落共同体での教育では、こちらがより基本的な意味をもっていました。

つまり、教育と名づける作用には、人間を、社会が必要とするタイプにそだてあげることから始まるものであり、社会とは人間のもっているいろいろの経験や知識を集積し保存し継承することによって、個々の生命はほろびても無限に累積発展させてゆく場である。(宮本常一著「庶民の発見」より引用)

今日のように社会保障制度も十分でなく、生きることにも多くの不安や障害のあった時代に、群れをなして住むということは、そういう不安や障害を克服する上にもっとも効果をもっていた。しかし群れをなすためには、必然的にその秩序が必要であった。(宮本常一著「庶民の発見」より引用)

ひとりでは到底生きていくことができない厳しい外圧の下では、村の一員として=よき村人として、集団を維持継続させていくことが最重要課題だったのですね。この教育の場は、公生活(社会生活)の場であり、それが「若者組」でした。

若者組とは、伝統的社会における年齢集団の一つ。地域社会を支える集団の一つとしての機能が確立したと考えられ、その始まりは少なくとも江戸時代の初期で、北は北海道から南は沖縄に至るまで村広く分布していました。
 ※若者組についての詳しことは、旅研/歴史辞典データベース「若者組」をご覧ください。

若者入りは通常は15歳で行われていました。制度のととのっている団では、たいてい若者条目の読み聞かせをおこない、それを守ることを誓って入団するのが普通でした。

若者条目で各地にほぼ共通するもの、
 ・親に孝行すること
 ・神社をうやむこと
 ・ばくち打ち・大酒飲みをしないこと
 ・けんかをしないこと
 ・仲間内でわがままをしないこと
 ・火事・盗人の取締りをすること
当然これを破った場合には、仲間のから制裁されることになっていましたが、その中でいちばん重いものは「組みはずし」にすることだったようです。

このように若者組は一見、厳しい制度で堅苦しいものに思えてしまいますが、その厳しさと同時に若者にとっては様々な体験が出来る期待に満ちた場でもあったようです。

親のもとをはなれて夜はとまり宿に行き、兄若衆などから娘に対する知識も与えられ、娘の家へあそびにゆくこともゆるされたし、盆踊りや祭りには、その中心となって、はなやかにふるまうこともできた。と同時に、村の治安の維持にもあたったのである。(宮本常一著「庶民の発見」より引用)

親の監督と管理の外で、仲間同士の訓練によって社会人として「一人前」と認めらるようになることは、共同体としての集団の維持に重要な意味をもっていたのです。仲間との充足体験を積み重ね、村の規範を身につけていったのですね。


 かつての村落共同体の教育は、「全人教育って、なに?-1 @全人教育の本質」でsashowさんが書いている、
 ①生産課題に繋がるみんなで共有できる目的意識の形成
 ②仲間同士の規範確立
 ③社会を対象化できる統合理論の習得
 ④これらを実践していける場の創出

に当てはまる部分が大きいのではないかと思います。これからの「全人教育」とは何か?を考える上で、かつての村落共同体の教育は大いに参考になりそうです。

ただし、それをそのまま現在に再現することが「答え」ではありません。村落共同体が置かれた外圧状況と現在では大きく異なります。集団の新たな「一人前」の基準が必要だし、一集団を超えた社会全体を対象化することも必要です。

では、どうする?その可能性の探索は、続く「現代の取り組み」「先端事例」(いずれも仮称)などで追求していく予定になってます。こうご期待!!(さいこう)

投稿者 sachiare : 2009年06月30日 List   

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