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日本の精神 6 ~村の掟

豪農の規範意識に対して農民の規範意識はどうだったか?

今回は村の掟の紹介です

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下記は「村の世界」(図説 福井県史 [1]からの引用です)

 太閤検地によって村の石高とその範囲が確定されました。その結果、村は年貢・諸役を負担する基本単位となり、庄屋などの村役人を中心として寄合でいろいろ協議確認され、自治的に運営されることになりました。

 村は周囲に肥料や秣・薪などを手に入れる山や野(多くは入会地)を守り、田地耕作のための用水の確保に力をそそぎました。重い年貢を納めなければなりませんから、百姓どうしの間に不公平や争いがあってもいけません。そこで村独自の掟(村法)を設け、生産活動や日常の生活がスム-ズに行われるよう努めました。村掟の多くは人足役などの負担のしかたや、入会地の利用法、用水の維持、それに村や地域の経費(村盛・郷盛)の負担に関するものです。寄合への参加や窃盗・火災防止に関するものなども少なくありません。村掟に違反すると厳しい制裁が加えられました。火事と葬式のときしか付き合ったり協力しないという、村八分はその例です。

自然外圧と統治者からの圧力に対応すべく、村には掟が必要だったのでしょう。
もう少し、村の規範を調べてみると、当時の統治者による統治圧力と、村落共同体の自治と言う2速の草鞋状態だった様です。

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「公儀法度と村掟」(ふるさとファイル:むらの掟 [2]からです)

江戸時代の村には幕府から出される「法度(はっと)」と、村内の治安や生産を維持するため中世以来の慣習を基に自ら定めた「村掟」の、二系統の法が存在しました。
江戸時代の中頃になると、幕府から出された法度を遵守するといった趣旨の条文が村掟の第一条に掲げられるようになり、法度と村掟の融合がみられます。
文頭の写真は、寛永19(1642)年友岡村村掟(教育委員会所蔵)を参照して下さい。

長岡京市内に残されている最も古い村掟、寛永19(1642)年の友岡村村掟には、山林竹木を盗まない、水鳥猟の禁止、ばくち・ほうびき(宝引)の禁止の3ヵ条が定められています。特に盗み・博奕の禁止は、村の秩序維持にとっても、幕府の統治にとってもたいへん重要で、江戸時代を通じて繰り返し定めています。

たいていの村掟は、その末尾に「村中相談之上」決めた上は条項を守り、違反すればどのような罰をうけても文句はいわない、という文言とともに村人全員による署名・捺印があります。また、村人が村役人に対して誓約するという形式もありますが、いずれにせよ、末尾の文面から村掟が村中の総意に基づいて定められたことがわかります。

①生産にかかわる取り決め
山は燃料や肥料などを得るための重要な場所でした。そのため、盗みの禁止や鋸の使用制限、山へ出入りする時間など、山に関する取り決めが定められています。
②日常生活についての取り決め
村では倹約を目的とした取り決めがたびたびなされています。節句や農事祝い、冠婚葬祭、履物にいたるまで、日常生活について細かく取り決められていました。これら倹約項目から村の生活のようすがうかがえます。
③若連中定書
各村には若者組、若連中などとよばれる、15~30歳代までの年齢集団が存在し、この若連中による掟書が井ノ内村と長法寺村に残っています。
天保11(1840)年に定められた井ノ内村若連中定書には、村掟と同じく盗み・博奕を禁止するほか、留守の家に長居してはいけない、主人のある女と話をしてはいけないと定められています。

制裁と詫び状
村掟に違反した場合、違反者にはどのような制裁が待っていたのでしょうか。天和3(1683)年の長法寺村の場合、作物を盗んだ者は村追放、博奕の主催は罰金1貫文、打手は500文としています。このように違反者には村追放・罰金・不付合といった厳しい制裁が加えられましが、親や五人組など、しかるべき人を保証人に立て、過ちを詫び、今後決してしないことを誓う証文を村役人に提出すれば、許されることもありました。

村掟に共通するのは、生きていくために必要な約束事、祭事・冠婚葬祭の慣わし、性規範が定められている事と、村人の総意であることでしょう。

江戸時代になって統治者が安定したものの、それまでは戦乱で統治者は激しく変わってきたが、村落共同体は生き続けてきた。
共同体を存続させてきた規範(掟)の果たしてきた役割は大きい。

現代、激動の社会情勢の中で地域コミュニティーが見直され、その必要性が議論され始めています。
そんな中、歴史的に村落共同体の掟に学ぶ事は大きいのではないでしょうか?

こんなキーワードが抽出できるのではないでしょうか?

外圧に対抗する為に必要な事

集団行為(祭り)の運営

性の規範

村人の総意であること

とりわけ、最後の「性」に関して放置(捨象)してきたのが近代社会の最大の欠点なのかも知れません。

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