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【性教育って・・・?!】その4~自分発からみんな発へ~

男と女は充たしあうためにある [1]
 
【性教育って・・・?!】その1~性教育って何?!~ [2]
【性教育って・・・?!】その2~性教育の歴史①~ [3]
【性教育って・・・?!】その3~性教育の歴史②~ [4]
 
現代の性教育については、その歴史(構造事実)を総括することなく、現代の価値観のみで語られることが多いと思いませんか。それゆえ、国会においては具体的なことが語られることはなく、逆に具体的な学校教育の現場においては度々物議をかもしてきました(性教育 – Wikipedia [5])。
今や、非常に内容が薄くかつ偏りのある認識となり、そもそもの社会問題やみんなの期待に対し、逆効果の疑いすらあるのは、やはり史的総括による構造認識の獲得が不十分だからではないでしょうか。
 
先に掲載した2つの事例は、必ずしも現代の価値観が普遍的なものではなく、むしろそれ以外に答えになりそうな、かつ充足性がありそうな数多くの事例の一つとして紹介しています。
今回は、人類500万年の歴史(日本の婚姻史)を俯瞰して、性教育を考える上で、欠かせない認識を獲得してみたいと思います。
 
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さて、日本の婚姻史を調べてみると(例えばリンク [6]リンク [7])、集団や社会から切り離された婚姻や性関係は、なんと(@@)ほんのこの50年くらいしかなかったと言えます。
 
まず、庶民の生活の中で、縄文時代から昭和10年から30年頃まで受け継がれてきた、夜這い婚などの集団婚。それらは、村単位で性充足を高めるシステムで、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えられていました。
 
子育ても、誰の子であろうと、娘の親が育てるというように、村の規範の中で育てられました。決して個人課題ではなかったのです。また、性や子育て規範を共有する単位(村)と、生産にかかわる規範を共有する単位(村)は一致していました。
 
このように、性や婚姻は社会とつながっていて、性自体が集団維持の課題のひとつでした。それゆえ、性を“みんなの期待”として、肯定的に捉えていたと考えられます。
 
次に、貴族や上位層の武士は、父系制の一夫多妻・一夫一婦制をとりますが、基本的には政略結婚です。結婚は個人の課題という現代の感覚(例えば、リンク [8])からすれば、無理やり嫁がされてかわいそう…ということになりますが、おおきな間違いではないでしょうか。
 
私権社会での集団維持という歪んだ側面をもつことは否定できませんが、明らかに集団維持のための婚姻です。そこでは、男女の婚姻関係・性関係も、“集団統合上の重要課題”として、ごく当たり前のように認識されていたと考えられます。
 
それゆえ、貴族の娘も、いい家柄に嫁げるように、家庭教師を招いて、教養を身につけるのが、役割でした。娘自身も教養あるおしとやかな女になることを、目指していたのですね。(ちなみに清少納言や紫式部は、上記の家庭教師でした。)
 
そして、昭和の30年から45年くらいまでの婚姻制度も、基本的には家という基盤を背後に持ちながら、恋愛結婚という形をとります。この源流は、武士や貴族の婚姻制度です。かなり社会との関係は薄れますが、まだつながりを保っていた時代だと言えます。
 
このように、この50年を除けば、性は社会とつながっており、衰弱することはありませんでした。そして現在、まったく社会とつながりを失い、だれの期待も受けない性が始めて登場した。そのときから、性は衰弱し続けています。
 
自分にこだわればこだわるほどみんなとの距離開いちゃうよ [9]
 
再生のためには、社会の中でみんなに期待される『性』が役割として再認識される必要があります。そのためには、性も生産も包摂した次代の新しい認識(構造認識)の構築が不可欠になります。(みんなで事実追究しましょー!)
 
※人類500万年の99.99…%以上もの間、闘争圧力⇒集団をどうする?社会をどうする?というみんな課題(統合課題)を実現するために「性教育」があった、という事実に向き合うことではじめて、私たちは性や子育てを考えることができます。特に、この50年は、個人課題(個人の自由)⇒個人の欠乏しか対象にしないと言えるほど、認識の劣化が甚だしい。だから、益々何も語ることができなくなっているのですね…^^;
 
自分からみんなへ [10]

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