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新しい男女のつながりどうする?

現在、「草食男子」とか「肉食女子」という言葉が社会に出回りにぎわせていますが、そもそもどうしてこのような言葉が社会で出回るようになったのか。でも実はこのように騒がれながらも女性の方も「草食女子」が結構いたりします。

現在、若者の意識としては、恋愛に対して積極的な人は減少しています。恋愛、結婚に対して不安があると答えた人の中でよく挙げられる理由としては、

「出会いがないから」
「経済的な不安があるから」
「恋愛を面倒くさく感じている自分がいるから」
「外見に自信がないから」
「異性とのコミュニケーションが苦手だから」

などが挙げられるようです。

どうしてこのような意識がうまれるようになったのでしょうか?

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今の時代の若者は恋愛よりも貯金?もしくは…

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まず、このような意識の特徴として、経済的な不安があるという点では、明らかな社会不全が顕在化していることがわかります。この社会不全をどうするという方向で考えたときに、「恋愛するより、まず貯金したい」という意識が働いているのが現在の特徴なのではないかと考えられます。 :confused:

また、恋愛が面倒くさいと感るという意見の裏には、恋愛をすると疲れるという意識が働いているのではないかと考えられます。 🙁

以前なら、男性は狙った女性を如何にうまく落とせるか(彼氏持ちでも)という思考しか働かない時代でしたし、女性のほうも如何に私権を獲得した男性と結婚するかというとこにしか意識が働いていたので、「疲れる」という意識は全く働いていませんでした。 😈

しかし、現在恋愛が面倒くさいとか疲れるという意識が出ているということは、恋愛に対してなにかしらの障害を感じている人が多くなってきているのではないでしょうか。

ちなみに、私の周りにも、「女性をを紹介するよ」と友達に伝えてもなかなかいいリアクションが帰ってこないことも少なくありません。それよりも社会の状況(政治や経済状況)の方が興味・関心を持っている人が増えてきています。 😯

高校時代では、ある程度恋愛話でも盛り上がったのですが、最近では恋愛話より経済話で盛り上がることも珍しくありません。

この兆候としては、今の若者の『恋愛』という近代思想(市場拡大)によって持ち込まれた観念よりも、潜在思念で感じる社会不全に対する『認識』の方が、強く響く意識潮流と合致します。

この意識潮流の変化は、るいネットの実現論より明らかにされています。 🙂
(もっと詳細を知りたい方はるいネット [2]をチェック!!)

性権力者に主導された民主国家は、(豊かさ要求の産物たる)市場拡大と(要求主義・権利主義の産物たる)福祉制度によって、’70年頃、遂に貧困を消滅させることに成功した。但しそれは、貧困を消滅させるに至った類間の圧力(社会的な力関係)という観点から見た見解であって、自然・外敵圧力と対峙して貧困を克服した直接的な力(物質的な力)という観点から言えば、その主役は科学技術であり、要するに人類は極限時代から営々と蓄積してきた事実の認識→科学技術の進化によって、遂に貧困を克服したのだとも言える。  
 
 だが、貧困を消滅させた結果、私権の強制圧力が衰弱し、これまで私権の強制圧力を最大の活力源にしてきた人々の活力も急速に衰弱してきた。それに伴って、国家も企業も家族も個人も、自らを私権の強制圧力によって統合することが難しくなり、遂に3千年に亙って社会を統合してきた私権統合が機能不全に陥って終った。その結果、全ての存在が目標を失い、フラフラと迷走し始めた。更に、性権力の最大の抑圧物であった私権(占有権)の強制圧力≒男原理を去勢したことによって’80年頃には性権力の全面支配が完了し、社会は女原理一色に塗り潰されていった。女支配は子供や男たちを去勢して、(私権の衰弱によって衰弱した)活力を更にとことん衰弱させてゆく。その結果、ますます統合不全が深刻化し、社会の混迷と衰弱は年々ひどくなってきた。とりわけ’90年以降、事態は加速度的に悪化しつつある。  

 それだけではない。社会を全面支配した性権力は、実はそれ自体では自立して存在する事が出来ない。なぜなら、性権力は自由な性市場を母胎にしており、自由な性(性の自由欠乏)は性的自我を源泉にしている。そして、自我は共認圧力(集団圧力や闘争圧力や規範圧力)に対する否定をバネとする反or 破のエネルギーでしかない。従って、自我を源泉とする性の自由欠乏も、性の抑圧力(上記の共認圧力)に対する反or 破のエネルギーでしかない。換言すれば、性権力の土壌を成す性の自由(欠乏)は、性の抑圧を前提にしている。従って、性権力が集団を破壊し性規範を解体し私権圧力を去勢して、全ての抑圧力を消去させて終うと、自らもエネルギー源を失って消え去るしかない。  

 性の衰弱は、既に私権が衰弱し始めた’70年頃から始まっている。心中物語に代表される様な、私権の強制圧力との緊張関係から生じる性の自由への強力な収束力が衰弱したことによって、’70年頃から情熱をかき立てる様な恋愛が成立しなくなり、性をムキ出しにした官能小説やポルノ映画が主流に成っていったが、それは性の火(活力)が消える直前の最後の輝き(活力)だったのである。私権の衰弱が顕著になった’90年代に入ると、性はSMや3Pに最後の活路を求め、その刺激にも飽きると、もはややることが無くなって終った。こうして’95年頃から、遂に性の自由欠乏→性闘争(恋愛)そのものが急速に衰弱し始めた。

このように私権原理を基盤とした性は、現代の状況を見て衰弱していることは明らかですね。

これからは共認原理を基盤とした、新しい男女のつながりの可能性にシフトすることが必要で、そこから新しい性に対する活力再生へと導くことができるのだと思います。 :nihi:

今後、いろんな人の意識潮流を探索しながら新しい男女のつながりを追及していきたいと思います。 😉

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