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役に立つ勉強法って?2 「子ども学」って何?

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画像はこちら [1]からお借りしました。
 

勉強法の参考になればと、教育の新潮流を探索していたところ・・・「子ども学」というのを見つけました。

■子ども学CRN(チャイルド・リサーチ・ネット) [2] より抜粋します
1985年に小林登氏(東京大学医学部名誉教授、国立小児病院名誉院長、医学博士 チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)所長)が「新子ども学」を共著出版。
その後ベネッセ・コーポレーションから季刊誌「子ども学」が出版されるようになり、甲南女子大学からは定年退官後の小林氏に「子ども学」の講義を依頼。甲南女子大学に国際子ども学研究センターを開設。
1991年 小林氏が特別講演。福武教育振興財団、ベネッセ・コーポレーションの支援でチャイルド・リサーチ・ネット(CRN)発足。
 
■CRN(チャイルド・リサーチ・ネット)
1996年  日英二カ国語ウェブサイトとしてオープン
2000年  『チャイルド・リサーチ・ネット』発刊
2003年  「CRN子ども学研究会」発足して「日本子ども学会」へ発展
 
■日本子ども学会
2003年発足 代表;小林登氏
 
■「子ども学」を冠する大学(CRNより抜粋)
【大学】
①甲南女子大学人間科学部総合子ども学科②金城学院大学人間科学部現代子ども学科③鹿児島純心女子大学国際人間学部こども学科④東大阪大学こども学部こども学科⑤奈良女子大学文学部「子ども学」プロジェクト⑥東京成徳大学子ども学部子ども学科⑦同志社女子大学現代社会学部現代こども学科⑧神戸海星女子学院大学文学部心理こども学科⑨活水女子大学健康生活学部子ども学科⑩白梅学園大学子ども学部子ども学科⑪梅光学院大学子ども学部子ども未来学科⑫北翔大学こども学科⑬東海学院大学人間関係学部子ども学科⑭関西国際大学教育学部教育福祉学科子ども学専攻⑮中国学園大学子ども学部子ども学科⑯目白大学人間学部子ども学科
 
【短大】
①関東短期大学こども学科②千葉経済大学短期大学部こども学科③東京田中短期大学こども学科④佐賀女子短期大学こども学科こども学専攻⑤山形短期大学子ども学科⑥東北生活文化大学短期大学部こども学科⑦東京福祉大学短期大学部子ども学科⑧埼玉純真女子短期大学こども学科こども学コース⑨鈴鹿短期大学こども学専攻⑩三重中京大学短期大学部こども学科⑪函館大谷短期大学こども学科⑫青森短期大学地域創造学科子ども専攻⑬新島学園短期大学コミュニティ子ども学科⑭淑徳短期大学こども学科⑮青山学院女子短期大学子ども学科⑯高田短期大学子ども学科⑰純真女子短期大学こども学科⑱明和学園短期大学生活学科こども学専攻
 
■日本赤ちゃん学会
2001年 設立 初代理事長;小林登氏
 
さて、ここから先は一般論ですが・・・「子ども学」をカリキュラム化した大学がこれほど多いとは正直今まで知りませんでした。これらの大学の卒業生は保育士(乳幼児教育学、児童文化、児童福祉から子ども学)や学校カウンセラー(発達心理学、臨床心理学から子ども学)などに進まれるようです。こうした現象は一体何を物語っているのでしょうか?
 
子育て問題が現在の大きな社会問題であるのは事実です。子育てがとてつもなく難しく感じられるのが現代の大きな意識=不全だと思います。だから子どもに関する学問を学際的に構築しようと。一つの勉強収束、社会収束とも言えそうです。しかし、子どもを学問の対象とすることには正直違和感も感じました。
 
違和感の中身は恐らく、子どもを学問として見ることの距離感ではないか、と。従来子どもや子育てとは、未来や可能性を感じさせてくれる充足源=活力源だったはずですし、今でもそう感じる人は多いでしょう。一方で子育て不安、育児ノイローゼ、いじめ、学校問題など、子育てに大きな不安も生じています。
 
充足と不安(不全)、これらは今一体どうなっているのでしょう?
 
感じられることは、子育てが充足源であれば何も頭で考える事無く子どもと同じ時間や空間を過ごし、又多くの事を語り合っていける。子どもだって成長するにつれて世界を広げ、何時しか親元を離れてもいくでしょうがそれはまさしく一人の人間となっていくこと。・・・こうした子どもの成長過程は、親や学者たちが「学問」とする以前(或いは今でも)には、誰しも経験してきた「日常」だったはずです。
 
しかし今、この子育てをいきなり新米のお母さんが一人で担わねば!!となったらどうでしょう?誰も教えてくれない、助けてくれない、私がしっかりしなければ、どうしたら良いか早く教えて!!というような焦燥感だけが膨らんでいくでしょう。そのうち私は子育ての為に生きているんじゃない!とか、子育て出来ないのは親(自分)が馬鹿だから!!社会が悪いから!!・・・そうした大きな不全に囚われてとても充足源だとは思えない、かも知れません。そして、そうした閉塞した意識の先に「子ども学」という学問があるのだとしたら・・・?
 
子どもとの一体感を引き剥がし、学問として教わったことだけで子どもを導いていけるのか?もちろん学問である以上、多くの専門家が「研究」を積み重ねるでしょう。しかし子育ては日常です。専門家の研究事例が何時も当てはまるとは限りません(むしろ当てはまらないからこそ研究対象にもなり得る?)子育ては確かに大変です。その苦労は想像するに余りあります。それでも人類がこれまで長々営み続けられてきた(苦労を乗り越えてきた)のは、子育てが個人課題でも研究課題でもなく、シンプルにみんなの「充足」課題だったからではないでしょうか?充足発だから真剣に取り組めるし成果も高い。」この単純な公式を忘れて研究成果で子育てをしようとするのはどういう意識なのでしょうか?
 
結局、子どもを学門にする・・・って、実は子育てが嫌なんじゃないか?嫌いで苦手だから早々に答えが欲しい」んじゃないか?と思えてしまいます。嫌い、したくないから手っ取り早く答えが欲しい、子ども学があれば便利、助かる!!っていう現代の意識潮流が背景にあって子ども学が成立するのでは無いでしょうか?更には、子どもを大人しくて賢い人間に、今の社会制度からはみ出ない人間に育てたい、いうような意識は、私権制度の枠組みの中で無難に?子どもを育てたいという、現代社会の制度にフィットさせる為の「制度発」なんじゃないか?と。
 
皆さんどう思います?

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