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不登校どうする?!17~自然体験~(小学生)

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不登校の子供達の活力を上げるのに素読が良いと『素読で立ち直る不登校児』 [1]で取上げられていますが、経験則的に、自然のなかで、体を動かしていくと元気が湧いてくるなぁと私は思います。

でも、、そうした自然は、都市生活の中でなかなか体験できないものですね☆
だから、自然を体験することの需要が高いようで、最近では、自然自然体験教室というモノが、存在しているようです。そこに参加した子供達の様子を聞いてみると、そうした圧力の高いところに置かれれば(一回ではダメでも回を重ねるごとに)自然と慣れ活力を取り戻すもののようです。

自然に触れる事で子供達の何が活性化されたのか?気になるところです。
調べてみると<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=147523“>『「農」の教育力って、何?』に書いてありました!

解剖学者の養老孟司氏は、意のままにならない自然を排除する都市環境が自己中の子供たちを輩出する原因であると看破しているが、確かに、意のままにならない双璧は「自然」と「人間」であろう。いずれも、徹底的な同化なくしては遠のくばかりの存在でありながら、ひとたび応合出来れば充足度は一入で、且つ、それなしではいられない存在でもある。

それらを踏まえて、「農」を積極的に教育に取り組む動きがある。
「農林漁業体験学習ネット(リンク)」では、多くの事例紹介をしているが、「農業の教育力って、何?」の核心部分に相当する答えとは、

意のままにならない問題に遭遇して、
『何で? どうする?』と考えさせる力

だと思った。グループ学習を原則とし、達成目標の共認をしたなら、手取り足取りの介入を極力控え、その運営をグループに任せることで、人間関係も対自然関係も意のままに成らない場面に遭遇しては乗り越えていく術を身に付けていくことを促すことでこそ、意味があるように思う。そして、植物の栽培や畜産においては、「生物とは、集団あるいは種として命を繋ぐ存在であること」を知ることでもある。食育とは、そのような命を頂いているということを実感することではなかろうか?。

現代は自然の圧力にも、人間関係の圧力にも耐えられない子供達が増えてきていますが、それは、親の過保護がそうした“圧力=悪いもの”と徹底的に排除した結果。意のままにならない 「自然」「人間」に対して応合する活力をうしなってしまっている状態だったんですね。だから、些細なことで傷つき不登校って事とに繋がってしまう・・・。

必要なのは、意のままにならない事に対して『何で?どうする?』と、考え、乗り越える術を身に付けること。それは、単に頭だけで考えるんじゃなくって、体を動かす事=五感フル稼働でその自然をキャッチする もので、それによって頭と体が繋がっていくのだと思います。

自然や人に同化し「相手の思っていること」を感じられること、そしてそれに応える事が活力再生とすれば、周りが感じられなくなるほど活力を失っているものなのかもしれません。

自然体験教室では、最後に自分達の収穫した農作物の販売体験があるそうです。そこでは、誰かが指導したわけでもないのに、子供達が、「皆が食べるものだから」丁寧に扱っていたり、販売に分かりやすいポップを考えてくれたり、子供達が主体的にお客さんに喜んでもらえる事を考えて行動していたそうです。誰かに喜んでもらえることの実体験が、本来日常にあることが不登校をなくす近道のように思います。

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