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婚姻史シリーズ~書籍紹介:「結婚の起源」女と男の関係の人類学

婚姻史シリーズの追求にあたって、グループのみんなで書籍探索を同時に行う事にしました 😀
いくつかの書籍を分担して調べた上で、これは 😯 というものが見つかったら、その本を軸にさらなる追求を深めて行きたいと思います。

という事で、今日は「婚姻の起源」という本を紹介します。

著者:ヘレン・フィッシャー女史(米)、伊沢鉱生・熊田清子訳

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目次

1 性の“つわ者”

2 アダムとイブのはるか昔に

3 ミッシング・リンクの謎

4 女と男の関係の起源

5 性の契約

6 複雑な感情

7 最初の家族

8 言葉

9 思考

10 暮らしの知恵

11 結婚の未来

[要旨]
匠研究室のブックレビュー [2]より引用

結婚という制度は、人類の誕生よりずっと後になって生まれたものだ。
人間だって動物だから、子孫を残してきたが、結婚制度と子孫の繁栄は関係なかった。
ただ1対の雄と雌が交尾をし、雌が妊娠し、子供が生まれた。
そして、その子供を育ててきた、という事実があるだけである。
しかし、そこには明らかな選択が働いている。
セックスの相手は誰でも良いというわけではない。

 選ばれた、つまりセックスのゲームに勝った当事者の遺伝子が、次の世代へと受け継がれ、人類は繁栄を続けてきた。
今日では、結婚した相手以外の異性と、セックスをすることは不道徳とみなされている。
つい最近までセックスは、結婚した者たちの特権だった。
しかし、歴史はそれが必ずしも真実ではない、と教えている。

 タンザニアのトゥル族は、ほとんどの男女に愛人がいる。彼ら農民や牛飼いたちにとって、結婚はビジネスにすぎない。女たちは小さい頃から、結婚したら夫にしたがうものと教えこまれているが、夫を愛することは要求されない。トゥル族は、結婚した相手に愛情を持ち続けることは不可能に近いと考えていて、「ムプャ」(恋愛)を大切にする。もっとも「ムプャ」をするしないは自由である。恋人たちは森で落ちあうと、ちょっとした贈物を交換しあってからセックスをする。現場を見つけられたときは、男が相手の夫にヒツジやウシで罰金を払わなけれはならないが、普通は無視される。P18

 実は人間の歴史では、結婚と愛情はあまり関係がなかった
結婚は生活のためであり、愛情があるから結婚するのではなかった。
それが長い農耕社会を過ごしてきた人間たちの生き方だった。
しかし、同時に結婚という制度が存在したの事実だった。
それは人間の雌は、発情期がなく、いつでもセックスが可能だからである、と筆者はいう。

 毎日でもセックスができるというのは、生き物としては例外である
通常の生き物は、発情期以外にはセックスをしない。
人間はいわば性の強者である。
動物のセックスは繁殖のためだが、人間はセックスを楽しむ。

 筆者は、人間のセックスと結婚の起源、家族の起源を、猿や類人猿にさかのぼって記述していく。

※引用元の「匠 研究室の気ままなブック・レビュー」 [3]では、

進展する情報社会化をみながら、新たな家族のあり方を考える視点で、書評を行っています。

という形で、多数の書籍レビューが紹介されています。今後も是非参考にさせて頂きたいと思います。

ちなみに、この本をざっくりと読んでみたところ、内容的には残念ながらかなりのドグマに縛られているという印象を抱きました。

1.性のつわ者 の項では、人類の様々な性行動の事実があからさまに紹介されており、中々興味をそそられたのですが、類人猿や人類の歴史において、男と女は必然的につがいとなり、それは今後も変わらない、という結論に強引に結び付けている感があります。歴史人類学上は様々な推論があって然るべきではありますが、「何故そうだと言えるのか?」という根拠があまりにも薄く、内容的にはややがっかり、といったところ。

よって、いくつかの現象事実として紹介されていた部分のみ、上記ブックレビューに追加して紹介しておきます。

いつもの応援も、よろしくです。

エクアドル西部に住むカヤバ族は、世界中で最も性的に抑圧された種族だろう。男達はカヤバス湖畔の小さい丸太小屋でラム酒を飲んで一日の大半をすごす。彼らは、女というものは性的に攻撃的だと考えていて、女のいるところではおどおどした態度をとる。ときに勇気あるものが「夜這い」をして妻を得ることもあるが、ほとんどは周囲でとりきめた結婚をする。

エスキモーは、昔から「明かりを消して」というゲームをしてセックスの相手を交換しあう。消されたランプが再びつくと、大笑いとなり、「あんただとわかっていた」などと冗談をいいあって北極の長く暗い冬を楽しむ。

西太平洋に浮かぶ温暖なウリシの島々に住むミクロネシアの漁民は、毎日セックスをする。また、「ピ・スプフィ」と呼ばれる祭りがあって、その日は、昼や夜に、男女が連れだって森に出かけ、そこでくつろぎ、ピクニックをし、セックスをする。このとき、夫婦は一緒にいってはならず、恋人どうしもなるべく別々に出かける事になっている。男女の数がそろわないと、セックスの相手を共有する。

インド中央部のムーリア族~のどの部落にも「ゴトル」(子どもの家)が一軒ずつあり、子ども達は薪がひとりで背負える年頃になると、その家に住む。「ゴトル」ではすべての作業や活動が共同でおこなわれるが、セックスも例外ではない。少年少女たちは、一緒に寝る相手を毎晩選び、真夜中までにそれぞれが選んだ相手とベッドに落ち着く。~本当に相手が好きになってしまったカップルは、4日に一度は別の異性と眠らなければならない。ムーリア族の大人達は、「それは愛情を長続きさせる方法」で、結婚する前に欲望を燃やし尽くしてしまうべきではないと考えている。

等など。少し長くなってしまいましたが、世界中を見渡すと実に多種多様な男女関係の規範が存在する、という事が解ります。(これだけ多くの事例を探索しつつ、最後には“つがい”に落とし込もうとした著者の意図はなんなんだ?という疑問は残るが)これらの事実からも、現代の我々の結婚観が、いかに短絡的な固定観念に縛られているかが見て取れます。

ただし、この著者の大元にある
・男と女はなぜいっしょにいるのか?
・なぜ女は発情期を失い、いつでもセックスを楽しむ事ができるのか?
・愛しあい、うそをつき、泣き、姦通し、また分かち合うのはなぜか?
といった探索意識には、共感する部分もあります。

事実として、男と女は協働により社会を築き、子を産み、種の存続を果たしてきた。
この現実を直視し、互いに充足しあえる環境、あるいは関係性を、さらに掘り下げて追求していきたいと思いました。

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