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江戸の教育を探る-3-驚くべき教育水準

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※商売往来:画像出典=大阪府立中之島図書館ホームページより [1] 

「江戸の教育」の続きです
昨日は、寺子屋の読み書きのカリキュラムを見ましたが、今日は当時の読み書きのテキストについて紹介します。
それから、寺子屋の全体像を検討するために、規範教育についても考えてみたいと思います。

まず、寺子屋のテキストはどのようなものだったか?
先稿の九十九庵で触れた上級編のテキスト2例「商売往来」と「世話千字文」を見てみます。

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■商売往来とは?
※参考→大阪府立中之島図書館の解説 [1]より引用します。

「商売往来」堀流水軒著は江戸時代、寺子屋での手習いテキストとして元禄7年(1694)大坂から出版されました。
内容は商取引に関する帳面類、貨幣、商品、商人生活に必要な教養・教訓など4部からなり、商人は「商売往来」1冊学習すれば商業活動に必要な最低の学力を身につけることが出来ました。

凡(およそ)商売(しょうばい)持扱(もちあつかう)文字(もんじは)員数(いんずう)取遣之(とりやりの)日記(にっき)証文(しょうもん)注文(ちゅうもん)請取(うけとり)質入(しちいれ)算用帳(さんようちょう)・・・
と始まる本文は全て漢字、それを漢文調に記し右側に平仮名の総振りをつけて楽に読み下せるように配慮されている。

商取引に関する用語類、商取引の対象となる商品名が読み下しやすいようにテンポよく羅列され、最後に商人の生活や心得について述べる。
商人の子どもに学問を勧めたこと、芸道の稽古を認めたこと、始末・柔和・正直の道徳を説いたことが特徴としてあげられる。

※実物はこちらを参照
http://beth.nara-edu.ac.jp/COLLECTION/collection.htm#SER1 [2]

※「往来物」については、『往来物倶楽部』Webページ [3] が非常に詳しいので興味のある方にはおすすめです。
 

■世話千字文とは?
中国伝来の「千字文」を江戸徳川の世にあわせて漢字を入れ替え改変したもの。千字文の名のとおり、千の異なる漢字から構成されています。

↓どういうものかというと、こういうものです・・・・・

鳳暦賀慶、御代泰平、何謐国静、自他幸甚、市店交易、廻船運送、荷物米穀、駄賃員数、勘定算用、商売繁昌、富貴栄耀、境界歓楽、益殖利息、弥貯金銀、普請成就、結構満足、新宅徙移、向後安堵、父母隠居、譲与財宝、家督相続、有福人品、柔和活計、律義廉直、由緒系図、委曲聞繕、婚姻諸禮、恒例格式、朋友媒介、始終肝煎、玄関書院、掃除奇麗、庭前桜桃、開敷最中、賓客来臨、亭主馳走、邂逅饗應、嘉肴潤澤、料理塩梅、鮮魚膾炙、給使配膳、扈従忽劇、昼夜振舞、会席優長、象戯双六、囲碁蹴鞠、島台蓬莱、鶴亀松竹、謳時勢歌、作疇昔咄、酒宴遊興、斟酌酩酊、次第酔狂、権柄僭上、謾語馬鹿、多招嘲弄、殊更狼藉、不顧慮外、徘徊阡陌、假初口論、喧嘩騒動、周章顚倒、大膽我慢、傍輩一黨、田夫野卑、天晴屈強、卒爾打擲、遺恨鬱憤、互争雌雄、已及刃傷、訴訟通達、吟味穿鑿、違背展轉、僉議評判、露顕実否、沙汰渕底、胡乱闘諍、矛盾辨舌、其咎難遁、吹毛求疵、巨細申暢、許容所希、密談賄賂、堪忍樞機、依怙贔屓、刑罰赦免、讒奏虚妄、輙雪耻辱、親類眷属、慈悲愛憐、幾度折檻、諫言逆耳、厥后等閑、契約變改、永被棄置、又是誹謗、博奕勝負、失墜沽却、零落衰微、獨身逼塞、貧賤爲軆、笑止如斯、飢饉困窮、簡略覚悟、愚痴蒙昧、貪欲愈深、放逸懶惰、藝能廃忘、空過光陰、端的後悔、良久懈怠、勉勵稽古、師匠教訓、勤學講釋、指南叮嚀、印可傳授、執筆鍛練、質朴伶俐、棟梁才智、因茲仕宦、恭賜俸禄、出頭全盛、猟場警固、供奉勇士、形態汪洋、器量寛濶、各刷装束、模様花奢、謹承課役、夥獲鳥獣、特預褒美、呉服拝領、再三頂戴、冥加至極、非番休日、祖廟参詣、留守徒然、奴僕睡眠、盗賊踰垣、抱贓逐電、追付搦捕、火急拷問、横道證據、慙愧白状、兎角牢舎、畢竟流罪、武具衣裳、悉皆秘蔵、門戸牆壁、必致要害、這般尊命、都鄙巡見、早速発駕、首途離別、暇乞贈餞、聊表寸志、馴染入魂、尚残念存、剰得厚恩、扶持撫育、偏惜餘波、併期面謁、驛路勞煩、故郷想像、海陸程遠、懸隔雲泥、只今便宜、芳札到着、文章披閲、恰似對顔、飛脚催促、即遺返事、霖雨逗留、洪水迷惑、近辺舊跡、荒増推察、拙者案内、須令同伴、明旦刻限、拂暁誘引、逍遥暦覧、鋪氈暫憩、随意納涼、漸凌酷暑、眺望風情、景色驚目、霊地清浄、殺生禁制、社壇掲額、燈籠連砌、佛殿荘厳、綾羅錦繍、祈祷護摩、悪魔降伏、私願旨趣、恭抽丹誠、吉凶猶豫、取鬮決断、神妙、信仰崇敬、堂塔伽藍、若干敗壊、當寺檀那、涯分勧進、縁起記録、粗考濫觴、飽誣散銭、挨拶殷勤、破損修覆、助力建立、此間年忌、設斎懇切、僧侶列座、看経讀誦、知識説法、尤異尋常、老少男女、聴衆群集、布施香奠、報謝善根、下向山径、險岨高低、歩行辛苦、草臥遅滞、土産菓子、兩種饋之、児童共寄、賞翫欣躍、阿嬢寵愛、将且軽薄、俄於旅宿、退屈病氣、診脉療治、製薬調合、名誉醫術、保養本復、往還無恙、帰館珎重、翌朝登城、偶窺機嫌、毎遂伺候、公務混雑、忠節勲功、挙世稱歎、君臣純熟、乍憚恐悦、仁政恵民、農業豊饒、百姓倶祝、千龝萬歳

世話千字文終

※実物はこちらを参照→http://ir.u-gakugei.ac.jp/handle/2309/7308 [4] 
             →http://ir.u-gakugei.ac.jp/handle/2309/7304 [5] 

みなさん、これを見て、どう思われましたか?

★驚くべき漢字力、語彙力
それにしても、驚異の漢字力です。現在の我々を遙かに超えている・・・
この世話千字文は、寺子屋卒業の14歳に授けられたと言われるものなのですが・・・ハッキリ言って、現在の大学生のほとんどより知的水準は上なのではないでしょうか?

こうして身につけた「国語力」が、人々の能力の土台を形成していたものと思われます。

■礼儀作法をしつけた寺子屋
勉強だけでなく、しつけにも厳しかったようで、「礼儀なき子どもは読み書きを学ぶ資格なし」が師匠の鉄則であったと言われます。

駿河国駿東郡吉久保村(現静岡県小山町)で湯山文右衛門(1768~1846)が40年にわたって営んだ寺子屋の塾則「子供礼式之事」を紹介します。

一、正座して畳に手をつき額をさげて心静に一礼して来た順に着席しなさい。

一、来客があった時は煙草盆と茶を出し、皆一緒に一礼しなさい。

一、来客中は大声で素読しないようにしなさい。

一、十歳以下の子供はお茶当番をしなくてよろしい。十一歳から勤めなさい。

一、素読を始めたら互いにおしゃべりをしてはならない。

一、素読が終わったら線香二本が燃え尽きるまで必ず復唱しなさい。

一、大便・小便を催したときはぞろぞろ行かないで一人ずつ行きなさい。

一、断りなしに教場から出てはならない。

一、昼休みは遠くへ行かず近所で行儀よく休憩しなさい。

一、友達は兄弟同様であるから仲良く互いに行儀を正し末々まで親しくつき合いなさい。

一、子供同士の喧嘩口論は皆本人が悪いから起こるのであるから親はいちいち取り上げてはならない。

一、自分より素読の遅れた者に丁寧に親切に教えてあげなさい。

一、十歳から下の子供に日に一度は手を取って書き方を教えてあげなさい。

一、お師匠さんと対面しないで帰るときは必ず挨拶してからにしなさい。家でも朝食・夕食の時は父母に向かって礼をしてから食事しなさい。

一、朝寝坊しないで起きたら手水で顔を洗いまずお天道様を拝みご先祖様を拝みなさい。

一、親類・縁者が訪ねて来た時は必ず応対しなさい。

一、手習いが終わったなら静かに墨をよく摺って落ち着いて清書に向かいなさい。

一、清書が終わった者から一人ずつ提出して直しを受けなさい。

一、右のように毎日読み聞かせ必ず礼儀を嗜まなければならない。

★儒教を背景とする礼節、師匠の権威が背景にありますが、上からのしつけというだけでなく、10歳を境に年長者と年少者を分けて読み書きや生活面で助け合わせるなど、仲間意識や助け合い、人間関係を学ぶ場であったことがうかがえます。
また、一緒に寺子屋で学んだ仲間同士の絆は生涯にわたって強かったようです。

■外国人から見た寺子屋
このように人間教育としても重要な役割を担った江戸時代の教育機関ですが、最後に、当時の教育状況を、江戸後期~幕末に来日した外国人たちはどのように見ていたのか、いくつか紹介します。

「江戸の文化と教育」(東京学芸大学人文学科歴史学研究室 大石学氏) [6]からの抜粋引用です。

○イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファント
「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」

○ロシア海軍軍人ゴロウニン
「日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」
「しかしこれらの学者は国民を作るものではない。だから国民全体を採るならば、日本人はヨーロッパの下層階級よりも物事に関しすぐれた理解をもってゐるのである」

○アメリカ人のラナルド・マクドナルド
「日本人のすべての人-最上層から最下層まであらゆる階級の男、女、子供-は、紙と筆と墨を携帯しているか、肌身離さずもっている。すべての人が読み書きの教育をうけている。また、下級階級の人びとさえも書く習慣があり、手紙による意思伝達は、わが国におけるよりも広くおこなわれている」

○イギリスの初代駐日公使オールコック
「日本では教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくゆきわたっている」

○遺跡発掘で有名なドイツのシュリーマン
「日本には、少なくとも日本文字と中国文字で構成されている自国語を読み書きできない男女はいない」

上記は、誇張もあるわけですが、当時の日本が、西欧人を驚かせるに十分な教育レベルを実現していたことは十分に伝わってきます。

★時代が下って、明治~戦前の旧制時代には初等教育として「尋常小学校」が全国に設置されますが、その教育水準も非常に高かったことが知られています。
また戦前から「日本は亜細亜の図書館だった」 [7] とも言われていますが、こうした教育や勤勉さの基盤には、江戸時代からの大衆教育の伝統があったものと考えられます。

★今回、江戸の教育史を振り返ってみて、改めて学ぶべき点が非常に多いことに気づかされました 😯

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