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江戸の教育を探る-1-寺子屋の歴史と意義

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※寺子屋の様子:画像出典=松本市ホームページより [1]

会員の皆様、読者の皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。
おひさしぶりの管理人です

私の目下の問題意識は、世界金融危機を受けて、これからの教育はどうなるのか?というところなのですが、それを考える上で、教育の歴史を知る→構造化することは重要だと思っています

昨年、当ブログの「学校ってどうなってるの?」シリーズ、江戸時代から現代に至る教育史の追究には、非常に触発されました。なかでも、江戸~明治あたり。

というわけで、新年の記事として、「江戸の教育」について改めて考えてみたいと思います

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幕末~明治初期、日本の近代化を一気に成し遂げた偉人が多数登場します。
彼らは、先進各国から学び、全国の状況を見聞し、日本を取り巻く外圧に対してどのように国家を形成してゆくかを考え、そして短期間に一気に実践したわけですが、こうした仕事ぶり=能力は考えてみると凄い 😯
現代の政治家や学者、官僚には到底かなわないものがあります。

また、その時代のリーダーを担った男たちは、地方の下級武士など決して特別な家柄でない者が多く、そう考えると、当時の日本には、そうした有能な人材がほかにもゴロゴロいたのではないかと思えます。
当然彼らは、江戸時代の教育を受けた世代なわけですが、いったいどんな教育が行われていたのだろうか? 🙄

・・・ということも考えながら、江戸の教育を紹介していきたいと思います。

■全国に拡がる寺子屋ネットワーク
江戸の庶民教育といえば「寺子屋」。19世紀頃には、教育熱の高まりから、全国津々浦々で寺子屋教育が行われていました。

明治時代の政府の調査によると、全国に約15,000の寺子屋、約15,000の私塾が記録されています。しかし、寺子屋の実態数はその数倍、50,000~70,000近く 😯 あったと言われています。だいたい一つの村にひとつかふたつです。

ちなみに、現在の全国の小学校数は約23,000あまりですので、寺子屋の充実ぶりは引けをとりません。近代以前に、こうした大衆教育機関の全国ネットワークが存在したことは驚きです。

■教育の必要性と時代背景
そうした教育機関の必要性と充実の背景は、「学校ってどうなってるの?39 ~【まとめ図解】江戸時代の外圧⇒国家統合体制⇒教育制度」 [2]で詳しく分析されているので、ぜひ参照ください。

大きく捉えるならば、商業と文字文化の浸透がありますが、より本質的には、江戸時代には、人口増大を背景に、日本社会が(それまでの武力による社会統合にかわって)「観念による社会統合」へ大きくシフトしていたことが、社会的な教育機関の必要性に繋がっていると考えられます。

(象徴的には、行政の文書化~システム化。徳川時代は、幕府が「御家流」と呼ばれる書体ですべての文書が統一され、幕府のお触れはもとより百姓町人の届書、願書など公文書はすべてこの御家流で書かれた)

■大衆発の教育の仕組み
寺子屋は私立でお上の許認可はいらないし、お上も直接関知しない。寺子屋は読み書きに自信があれば身分に関係なく誰もが開業できました。
近代~現代のようにお上(官僚)発ではなく、民間発で教育の仕組みが作られていった点も注目すべきだと思います。

ちなみに、昭和戦後~現在の教育史を概観すると、公教育の没落=機能不全が顕著ですが、この原因は「教育の官僚化」 🙁 にあると私は考えています。
その意味でも、寺子屋の創意工夫に学ぶべき点は多いのではと思います。

では、明日の記事から、江戸の教育の具体的な中身を紹介していきます。
お楽しみに 😉

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