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【不登校どうする?!6】~影の薄い父親~

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↑同じ父でもこの人は、影が薄くなりそうにありませんが・・・
画像はこのサイト [1]からお借りしました。

【不登校どうする?!】シリーズも第6回目となりました。

 前回までのまとめとしては、不登校の家庭にはある特徴がある。それは以下の3つ。

【1】影の薄い父親
【2】過保護な母親
【3】子供の個室化

 今回はこの中でも特に【1】の影の薄い父親というところに焦点をあててみたいと思います。
 家庭において多かれ少なかれ、影が薄くなりがちな父親ですが、一体なぜそんなことになったのでしょうか?
 またなぜ父親の影が薄いと、子供が不登校になるのでしょうか?そのあたりに迫ってみたいと思います。

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1.影が薄くなったのはなんで?
 さて影の薄い父親ですが、皆さんの家庭はそんな感覚有りますか?影が薄いのは何でだろう?仕事でずっと家を空けているから??

 そういうことではないような気がします。だって、昔のお父さんは私権の獲得に向けて、今よりももっと働いていました。でも影が薄くなるどころか、大黒柱として家庭を統合していたのです!

 私権時代の父親は私権獲得が家族の期待。それに応える事で、威厳も保つことができました。
 しかし、1970年代に入り豊かさが実現されるとどうなるでしょうか?私権獲得は必ずしも家族の第一の期待ではなくなり、それに伴い父親の威厳もどんどんと失墜していきました。

 そうして家庭における父親の影が薄くなっていったのです!

2.父親の影が薄くなると、子供が不登校になる?
 この2つの事象はどのようにつながっているのでしょうか?

 その説明の前におさえておくべき事象があります。それは“人口の都市への流入⇒核家族の増加”という流れです。
 1960年代のちょうど高度経済成長の時代から、この流れは顕著に起こり始めています。これは家庭においても大きな変化をもたらしました。

 それは“父親の育児参加”です。つまり今までならおじいちゃん、おばあちゃんに手伝ってもらえていた子育てを母親一人でやる必要が出てきた。それでは負担が大きすぎるということで、でできたのがまさに“父親の育児参加”なのです。

 しかし私権第一の時代は、仕事を理由に父親はそこまで育児に積極的に参加していませんでした。しかし本格的に私権原理が崩壊したバブル以降、父親自身も積極的に育児に参加していきました。

 この“父親の育児参加”が家庭に何をもたらしたのでしょうか?るいネット(リンク [2])にあります。

>父親の育児参加はいったい家庭に何をもたらしたのか。

 本来父親に求められる育児の役割は、「規範教育」だと思う。これ以上やったら「危険」とか、それ以上求めることは「わがまま」と言うことに対して圧力存在となり「叱る」と言うのが最も重要な父親の役割だと思う。

 しかし育児参加する以上「規範教育」以外の役割を担わなければならない。「遊び相手」をするときもあれば「オムツ交換」をするときもある。むしろそちらの役割のほうがメインになっていく。

 その結果、子供に気に入られることを重視して圧力存在足りえることを放棄し、「規範教育」がどんどんと失われていく。これは家庭が子供にとって無圧力空間になっていくことを意味する。

 まさに闘争課題が親和課題に劣化しているのだ。

 そしてそんな家庭から「自己中な子供」が生み出されていくように感じるのだがどうだろうか。

 どうでしょう。本来父親の役割であるはずの“規範教育”が“父親の育児参加”によりどんどんと失われていく。

 そしてそのような状況から「自己中な子供」が増産され、小さな圧力からも逃避する「不登校児童」を生み出しているのです!

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