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姥捨て山

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いろんなサイトで紹介されています。 例えば、参考サイト 姥捨て山 [1]
そして、楢山節考として映画化され、多くの人の共感を呼んだようです。

“姥捨て”が、なぜ行なわれていたのか?
1、貧しいための口減らし
2、お殿様の意地悪

と大きく2分されるようです。

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1、集団として生き抜くために共認原理に基づいた規範(慣わし)
2、決まりには、逆らえない=序列原理(私権原理

と相反する原理に基づいていますが、

1、では、“相手を想う気持ち [2]”が痛いほど伝わってきます。
2、では、“みんな必要 [3]”。
と、
まるで、なんで屋さんのカードのようです。
誰もが求めている、感じている潜在思念に響いてきます

では、実際“姥捨て山”があったのかどうか?

無かった。あくまで仏教に基づく言い伝えである。と言われている方や
参考サイト [4] 
飢饉が何年も続けば、当然その様なこともあっただろうし、少なくとも産後間もない子供の間引きなどを考えると、それに近いものはあったのだろうと想像できます。
一方で、こんな内容のものもあります。 
「姥捨て山」 [5]

実際の姥捨て山では意外と村人からの差し入れもあって、何とか生き長らえていたという説もあるようです。(捨てられた季節にもよると想像しますが・・・)今の老人ホームではありませんが、老人同士和気藹々と生き長らえていたという話もあるようです

吹きだしてしまいました。なんと長閑な事だろうと・・・・。

現代を振り返って見た時に、

医療制度による高齢者負担の事を、
現代の「姥捨て山」だと(野党の)国会議員や、マスコミが声高に叫んでいますが、
あまりにも、目先的です。 参考サイト [6]

しかし、年金生活を前提にしているから、そんな話になるのであって、僅かながらのお金をもらって永らえることが、本当に求められていることなのでしょうか?
仕方なく若しくは、知らず知らず(年金)制度ありきの中での思考に留まっていないでしょうか?

そんなに、昔まで戻らなくても、ほんの数十年前まで、田舎であれば、田畑があり、家がある=生活基盤が整っているという前提になりますが、年金を当てに生活を営んではいなかった。たいていの老人は、孫のおこづかいぐらいにしか使い道が無く、むしろ死ぬ(直前)まで何らかの役割があり、可能な限り働いていました。そのことの方がお金をもらう事よりも活力に結びついていました。

都市部では、生活基盤、とりわけ生産基盤が失われると同時に社会から切り離され“消費するだけの存在”に成り下がらざるを得ない状態になっています。

医療負担をいくら負担してもらうかを議論するよりも、「姥捨て山」で説かれているように、誰もが必要とされる社会、そして役割を創りだしていくかが課題でもあります。

介護や幼児・子供の世話など、全てがアウトソーシングされ市場社会に取り込まれていますが、いくらでも、担ってもらうことが出ます。役割を担うことにより対価をもらう。そのことの方が余程、活力に繋がり、結果として国家予算の中でも年々膨れ上がる“福祉”の支出が低減されることになるのではないでしょうか。

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