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学校ってどうなってるの?89 欠乏と充足

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不登校、引きこもり、勉強や就職する意味が見つけられない・・・
30年前にはほとんどみられなかった現象が今ではあたりまえのように激増しています。
それは、貧困が消滅し、私権の活力が衰弱したあたりからだんだんと増えてきました。私権活力に変わる新たな活力源が見出せていないから、ということができますが、じゃあどうしたらいいの?答えが欲しい って思いますよね。

そんなときに役立つ、新しい認識サイト、るいネット [1]から 欠乏と充足 という根概念を紹介します。

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欠乏と充足 [2]

生物の外部世界に対する適応原理のひとつ。例えば本能レベルでは、空腹感や性欲の高まりなど何らかの欠乏感覚が生じると、そこから餌を食べる・交尾をするなどの行動が生まれ、欠乏を充たし充足感覚を得る(=適応する)。なお、サル・人類の場合は本能機能を超え出た共認機能の欠乏・充足作用が極めて重要となっている。

「充足から欠乏が生まれる」 [3] 

私たちは往々にして、まず欠乏感があって、それを埋め合わせようとエネルギーをかき立てて努力をし、その結果として充足を得るというイメージを思い浮かべがちです。しかし、よくよく考えてみると、欠乏(特に答え欠乏ような新しい欠乏)はどこから生じるのかという問いには、上記のイメージは何の回答も与えてくれません。

 事実は逆で、まず充足があって、その充足感を知ったが故に、それを追い求めるエネルギーとなる必要意識・課題意識≒欠乏が生まれるという構造になっているはずです。生物一般の本能進化も、おそらく、新しい欠乏が先に芽生えるのではなく、例えば新しい餌場やニッチを体験する中から、それまでは知らなかった充足(または可能性)が与えられ、その充足を手に入れるために新しい機能を獲得して適応していったというのが正解だと思います。  (つづく)

サル・人類の場合は本能機能を超え出た共認機能の欠乏・充足作用が極めて重要となっている。
そして、
充足感を知ったが故に、それを追い求めるエネルギーとなる必要意識・課題意識≒欠乏が生まれるという構造

充足発で何かを実現しようとするのか、不全発で何かを実現しようとするのか、どちらのほうが実現可能性が高いのか明らかですね。
ところで現代における「充足」とは何なのでしょうか。
いい学校に行くこと? 大企業に就職すること? エリートと呼ばれる事? お金持ちになること?
かつて貧困が克服されていない時代においてはそれがみんなが目指す目標でした。(一言でいって「私権獲得」といいます)みんながそうなりたいと思っているのだからそのための努力も厭わなかったのです。
ところが1970年代にはいって、豊かさが実現され、「私権の獲得」をしたところで本当に幸せなのか?という感覚を皆持ち始めます。その流れは年々表に現れはじめ、学校に行く意味が見出せない学生や就職しても長続きしない若者が増えてきます。
今や、「私権獲得」は、充足を手に入れるための課題とはいえなくなり、そのための勉強も仕事も「いやだけどしょうがなくすること」という不全発の課題となっているのです。

🙁 不登校になる子供が激増するのも、それが長期化するのも、「学校には行かなくちゃいけない」と不全発になってしまうからなのではないでしょうか。
🙁 ”勉強って必要?って思う→学力低下”も、「勉強は(面白くないけど私権獲得のために)しなくちゃいけないもの」と不全発の捉え方しかできないとき。
🙁 会社を簡単にやめてしまうのも、その仕事がどう社会につながっているかということを見えず、とりあえず自分の私権獲得のためと捉えているとき。

😛 学校にいったら何か充足できることがあるとか、何かを知ることが役に立って喜ばれたからもっと知りたいっていうのが充足発。その充足をもっと味わいたくて活力が出る!!

そして新しい充足の中身とは、誰かからの反応だったり、誰かに感謝されて役に立っていることを実感したりという、「共認充足」なのだと思います。

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