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孤独死って問題なの?

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「孤独死」・・・ウィキペディア [2]より

この言葉は、日本で核家族化の進んだ1970年代に、独居老人が死後だいぶ経って久し振りに訪ねてきた親族に発見されたという事件の報道にて登場、同種事例が度々発生した1980年代頃よりマスメディアに繰り返し用いられた。
特に隣家との接触の無い都市部などに於いて、高齢者が死後数日から数ヶ月(長いケースでは1年以上という事例もある)経って発見されるケースが過去に相次いで報告される一方、都市部に限定されず過疎地域での発生も懸念される。
当初、都会には人がたくさん居るにも拘らず、その誰にも気付かれず死んでいるという状況を指して「都会の中の孤独」という逆説的な死様として取り上げられていたが、次第に「病気で周囲に助けも呼べずに死んでいった」事が解るにつれ、このような事態の発生防止が求められるようになったという経緯を持つ。

というように近年の社会問題の一つとして取り上げられ、「誰にも気付かれず亡くなっている」という状況が悲惨であるという具合に報道されると、老後に不安を覚える人々も多いのではないかと思います。

高齢者の一人暮らしの果てがこの「孤独死」につながっていると思いますが、これは核家族化ゆえの必然的な問題ともいえます。近年の家庭のあり方に引き付けて考えてみたいと思います。

いつも応援ありがとうございます。

高齢者人口が増え、日本は高齢者福祉という大きな課題を背負うことになりました。現在の核家族家庭では、お父さんが60歳~65歳くらいで定年を迎える頃には子どもはほとんど家を出て次世代の核家族生活に移るため、父母2人の年金生活が始まります。その後高齢化や病気などで1人が亡くなった場合は子どもが扶養する、あるいは福祉施設に入所しない限りは高齢者の一人暮らしになります。

高齢化が進めば介護負担も大きく、親を扶養することは非常に大変です。またお金がなければ施設に入所することもできず、仕事をすることもできなければ必然的に年金や生活保護を頼って一人暮らしをせざるを得ないのです。

一人暮らしはよくないのか?

やはり高齢者であることを考えると急な病気や異変が心配になりますが、連絡を取り合える関係があればそれほど問題でもないような気もするのですが、どうなのでしょう?

ただ、孤独死の事例を見てみると、何10年間も連絡を取っていなかったり、部屋がゴミ屋敷みたいになっていたりと、完全に社会や人間関係から隔絶されている様子が伺えます。ある意味ホームレスにも通ずるのですが、一般的な家庭環境とは分けて考えるべきかもしれません。

その一方でまったく逆なのですが、一人暮らしでもこんなに元気! :tikara: という事例があります。

『大往生の島』(佐野眞一著、文春文庫)という本に紹介されている、山口県の沖家室(おきかむろ)島という離島のお話。こちらのサイト [3]で紹介されていましたので、少し長くなりますが引用します。

高齢化率、日本一!2005年予想で54.2%、つまり、65歳以上の人口が65歳以下の人口よりも多い。

一般世帯に占める高齢者単独世帯率、つまりひとりぐらしの老人比率が、42.8%で日本一。

子供と離れて暮らす老夫婦だけの世帯比率35.5%で、おそらくこれも日本一

 この本に載っている写真をここに勝手に掲載できないのが残念ですが、扉に載っている8人のお年寄りの写真は、もちろんたくさん撮影されたなかから選ばれた良い写真であることには間違いないのですが、にもかかわらず、世間のお年寄りの写真としては、実に生き生きとした表情をしています。
 都会で物質的にも文化的にも恵まれた施設や、恵まれた家庭環境にあるお年寄りでも、これほど生き生きした表情の笑顔には、なかなかお目にかかれないのではないでしょうか。

 もちろん、これだけ突出した高齢化の島ですから、島の人が元気であろうとなかろうと、それだけでも専門家が注目して調査に訪れたりします。
 長寿日本一の町として折り紙をつけられた調査結果では
 ①年間平均気温が15.6度と気候が温暖なこと

 ②お年寄りのほとんどが漁業、ミカン栽培などの仕事を続けていること

 ③カルシウム分を多量に含む新鮮な小魚類を中心とした食生活であること
といったことが長寿の要因として指摘されています。

 ところが、この島のすばらしいのは、結果として長寿であることにとどまらず、これまで通常独居老人などはマイナスのイメージとしてしかとらえられていなかった条件にありながら、すこぶるみんな元気にあかるく暮らしているということです。

 もうひとつ、山口大学が昭和59年におこなった調査が紹介されています。
 「今の生活に満足していますか」という質問に

   満足 : 49.3%

   普通 : 46.3%

   不満 : 3.8%

 さらに「なんでも話しあえる友達がいますか」という質問に

   「いる」が75.4%で、全体の4分の3を占める。

 「日常用務は一人でできますか」という質問に

   92%の人が「一人でできる」と答えている。

 健康であるからこそ、一人暮らしでやっていける。
 一人暮らしであるからこそ、何でも話しあえる友達が必要。
 一人暮らしであるからこそ助け合える仲間に支えられている。
 仲間といっしょだから一人でも元気に生きて行ける。
 プラスの循環構造がなりたっています。

 かたや私たちのまわりのお年寄りの実態をみると、
 たとえ今は健康であっても、将来を考えれば健康に不安があるから、家族や病院に頼らないわけにはいかない。
 老後、まわりに迷惑をかけないようにするには、お金を貯めておくしかない。
 お金がなければ、家族に頼るしかない。
 こんな実態が日常に見えています。

 このふたつの大きな分かれ目になっているのが、年老いて、たとえ体力の衰えを感じても、将来にわたって自分が元気でいられると思えるかどうかであり、自立の前提である「働ける」という環境が自分にあるかどうかにかかっているといえます。
 この老いてもなんらかのかたちで働けるということを取り去って、自立や精神的充足、心身ともに健康であることを保障することは極めて難しいことなのではないでしょうか。

 たくさん老後のお金を用意しておいても、「働ける」だけの健康や「働くこと」でつながりをもてるまわりとの環境が備わっていなかったならば、いくらお金があっても、文化的な生活が保証されていても、生き生きと豊かに暮らす老後の姿、輝いた瞳を想像することは難しいのではないかと思います。

 こんなことを言うと、体力の衰えた年寄りを無理やり働かせるのかとの非難をうけてしまいそうですが、労働の姿はともかく、なんらかの労働もできなくなってしまうということは、人間が生きていくという基本的な条件が失われてしまうということであり、そこを除いた人間の豊かさというのはやはり考え難いのではないかと思うのです。

 福祉予算切り捨ての口実に利用されることなく、こうした議論がもっと深まることを願うばかりです。

 「仲間といっしょだから一人でも元気に生きて行ける。」
 「(死ぬまで)働けるという環境がある」
 「プラスの循環構造」

非常に重要なキーワードだと思いました。高齢者が一人暮らしをすることが問題なのではありません。地域の仲間空間を奪い、生産の場を奪い、お金だけ渡して家の中に閉じ込めてしまったことが一番問題なのだと思います。

上記の島のような環境さえあれば、死ぬまでピンピン生きてコロリと往けるのです。たとえ独りで亡くなったとしても、みんなが大往生だと思うだけであり何も不安なことはないと思います。

この問題の解決方針は、どうやってこのようなプラスの循環構造を作り出すか?です。さらに追求していきたいと思います。

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