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2008年11月04日

学校ってどうなってるの?85 新たな教典(グランドセオリー)の必要性

 この間、「学力低下をどうする?!」を扱ってきましたが、学力向上のためには、

 ”廻りの期待をキャッチし(同化し)、それに応望する能力”
  がベースに必要だと言えそうです。

 では、そのために何が必要か?過去を眺めて見ると、社会状況を把握し、どうすれば良いかの方針を指し示した理論=グランドセオリー、教典・・・例えば、マルクス主義、構造主義、論語などが存在しました。また、それに挑戦する学者も多く存在しました。共通の理論・規範を模索する動機づけの構造が、かつては存在し得たわけです。人々は、これらの理論・規範を繰り返し読むことで、時代の圧力・課題に同化し、実践し課題を解決することで、それに対応する能力を身に付けていったのだと思います。
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 グランドセオリーが、過去に何故求められ、どのようになっていったのか?また何故今求められるのか?を参考投稿をもとに考えてみました。

[参考投稿]
構造認識の現況1 否定意識や自我観念から脱却できない近代人=現代人

構造認識の現況2 特権知識階級の商売道具と化した「構造認識」

『GRAND THEORY』なんでやネットワーク著「新しい事実の体系★グランドセオリー」

A:グランドセオリーが何故求められたのか?

 

市場社会は、集団を超えた交換(統合)原理に基づく社会であり、もはや感応観念で社会を捉えることが出来なくなった。(例えば、自由・平等・博愛etcの価値観念で社会を考究しても、ユートピアにしかならない。)
そこで、感応観念に対する不信or無効の潜在思念を下敷きにして、超越思考(客観主義)や事実追求(経験主義・実証主義)を重視する気運が強まり、感応観念から構造観念への移行が推進された。

B:グランドセオリーが求められなくなったのか?

4.そして’70年、貧困の消滅によって否定派の「構造認識」も肯定派(自我派)の「構造認識」も共に生命力を断たれて終う。一言で云えば、考究する原動力となっていた否定や自我の潜在思念が衰弱し、本当に追及したいことが無くなって終った(つまり、思考停止状態に陥った)のである。

C:今、また、何故グランドセオリーが求められているのか?

いま家庭も、学校も、企業も、国家も、それぞれに深刻な問題を抱えて行き詰まり、今や目標を失ってフラフラと迷走しています。あらゆる集団から様々な「社会問題」が発生しており、誰もが無視し続けることなどできなくなっています。

国の借金800兆、止まらない環境破壊、短絡殺人の増加などの社会問題に対して各分野についての専門家は存在し、書籍も多数出版されています。しかし、どの書籍にも「答え」が明示されていないばかりか、逆に読めば読むほど混乱するばかりです。なぜでしょうか?それは、専門家自身は現実の圧力を受け生きている訳ではなく、現実を外から眺める傍観者に過ぎない上に、ある専門分野内の追求に留まっており、かつ表層的な現象しか扱っていないからです。

あらゆる分野の原因が複雑に絡み合って生じる現実の社会問題を考える上では、現実の真っ只中を生きる人々が、分野を超えて原因を追求し続ける必要があります。また、現代の社会構造が社会問題を引き起こしている以上、社会がどのように成立してきたのか、その歴史構造まで解明する必要があります。

そこで、GRAND THEORY(グランドセオリー)では、現実の真っ只中を生きる『みんな=それぞれに仕事を持つ普通の人々』が領域を超えて事実を追求した『るいネット』の投稿群を元に、その問題を発生させている歴史構造を解明・体系化することで、社会問題の根本原因とその突破口を示していきます。この「新しい事実の体系」こそが、社会問題がどのような構造で生じているのかを解明し、その突破口を明らかにする唯一の道なのです。

 理論や教典は社会の問題を分析し、解決策を見つけるには便利ですが、ただし、それが架空観念では、何も解決策を提示することは出来ません。我々の武器にはなりえません。自然の摂理に立脚した(蓄積された)事実観念=統合理論が必要だと思います。

投稿者 hoop200 : 2008年11月04日 List   

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コメント

なるほど~いつの時代もグランドセオリーってあったんでしょうか?
聖書とかもそうなんでしょうかね
ガリレオやコペルニクスも元もとは神学者だったし・・・・

投稿者 tennsi21 : 2008年10月28日 19:22

はじめまして。
けんしろうと申します。
ブログを興味深く読ませていただきました。
確かに研究者たちは、理論のみで実践はないことが多いですね。
どうすべきかというところでグランドセオリーの必要性は納得できます。
また参考にさせてください。
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投稿者 けんしろう : 2008年11月5日 22:14

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