こんにちは~。
今回、サロンに新規の方が加わり一緒に議論したときに、新たな気づきとなんで家庭を聖域にしてはいけないことを追求しているのか、そのために勉強しているのかという点を改めて見つめなおすことができました。 🙂
今回はこれまで家庭で育ってきて当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかったというところで、そもそも普通の家庭ってなにってところを追及してみたいと思います。 :tikara:
応援よろしくお願いします!!
まず、今の核家族形態というのが最近生まれてきたということは、学校の教科書等でこれまで勉強してきてわかっていることですが、核家族化してどうなったというところは、よくわかりません。
私は核家族ではないけれど、現代の家族の中で育ってきたことで、そんなに周りの人と環境はかわらないと思います。
これまでいろいろ調べてみて、家族形態がどういう風に時代とともに変化してきたか、るいネット中の投稿を示します。
◎家庭を聖域にしてはいけない [2]
これまで、自分は一般のどこにでもあるような家庭の中で育ってきてたいと、思っていましたし、それが普通だと思っていました。
しかし、普通の家庭というものは存在せず、それぞれの家庭の中での状況の中で、父親・母親・子が住んでいて、その環境の中で育つ人間が、それぞれさまざまな経験を踏んできているので、全て同じ思考過程をもった人が、まわりにいっぱいいることはありません。
それぞれの環境の中で、適応してきて構成された性格や思考の方法が生まれてきます。
だから、親が過保護や過期待を行ってしまうと、過保護が当たり前だと思ってしまう子供や過期待によるプレッシャーなどに押しつぶされて殺人などへと発展してしまう事件を起こす子供(親)を生み出してしまう可能性があります。 😥
以前は、親がともに必死で働いていたことで、子供は子供なりに集団の役割・期待を感じてそれぞれ行動していました。戦前なら兄弟の面倒や炊事・洗濯の手伝いなど。これは、相互の期待・応合の関係にあります。
今の子供は、塾やら習い事で大忙しのようですが、それが今の親の期待ではあるのですが…以前の期待・応合の関係ではないように思えます。 :confused:
現代で起こっている家庭の問題は、実は家庭を聖域としてしまった国自体の政策の問題であったりもしますが、根本は時代の圧力状況の変化によるものだといえます。
詳しくはるいネット [5]で
今回改めて、普通の家庭と思われていたものが実はそうでなく、家庭が聖域化されていることに気づかずにそれが、普通の家庭と認識していたのだということが気づきでした。
今後も、この家庭の問題が社会の中で、どのような影響を及ぼしているのか、及ぼしていくのか追求していきたいと思います。 😀
カネキチでした~。