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明治になって、農村の男に威厳は芽生えたのか?

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明治に入り、日本は近代化が進められていく一方、家父長制度なる制度が発令されたことで、庶民にとって社会や家族の姿が大きく変化していくことになります。

江戸時代においては、農村においても町の長屋においても、庶民は家族という単位を超えた地域の共同体という基盤があったことで、貧しい生活をしていてもみんなで助け合いながら楽しく暮らしていたようですが、この制度はまさにこの庶民の共同体基盤を崩壊させ、近代化=私権社会を推し進めるものとなっていったのです。

家父長制度とは、財産の相続権や子どもの養育権が男だけに与えられるというものですが、これによって男はいきなり権威を握ることになったのでしょうか?

まずは、農村について押さえてみたいと思います。

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農村の生活・・・といえば、男も女も同じ作業をしますね。その内容も多少の力の差はあれほとんど同じだろうと思います。ちょっと違うのは、女は農作業に加えて家族の食事やお弁当を作り、家の掃除をし、風呂を焚き、子どもには乳をやり・・・と男以上に沢山仕事をしていたことでしょう。

では男の役割といえば、当然農作業だけではありません。農作業は1家族だけで成立するものではなく村全体で協力しながら行うものです。だから、その年のスケジュール組みに始まりいろんな決め事や村行事の取り組みなどを男衆の寄り合いによって決めるという役割があります。これは江戸時代から築いていた村の社会基盤です。

こうやって男が村の安心基盤を作り、その中で女、子どもが安心して暮らしていけたのだと思います。

そんな農村社会に家父長制はどのように浸透していったのでしょうか?

 上流階級と庶民では、妻と夫との関係が明らかに異なっている。商人や貧しい農民の妻は、天皇陛下の妻よりも、はるかに夫の地位に近い。

農夫とその妻はふたり肩を並べて畑仕事に励み、同じ荷物を運び、食事は同じ部屋で一緒にとる。家庭を支配するのは、性別の如何にかかわらず、気性の強い方である。夫婦のあいだに大きな溝はない。

 田舎ではどこでも、女性は野良仕事をし、お茶を摘み、穫入れし、収穫を市場へ持っていくのに加え、蚕を育て、絹糸や綿糸を紡ぎ、機を織るなどして直接生産に関わり家族に収入をもたらしている。このように女性が大切な労働力となっているところでは、一般にみられる男女間の地位の差は著しく狭まる。

「明治日本の女たち」(アリス・ベーコン著) [2]から引用

どうやら農村の村社会においては、家父長としての威厳の後ろ盾になるものは何もなく、機能していなかったといえそうです。

上記から明らかになったのは、男の威厳なんてものは、自然の摂理でも集団原理でもないということ。まさに観念的に作られたものだということです。

だから、仕事と生活の場を同じくし、共同体基盤が強く成立している農村においては、それが何の意味も持たなかったのです。

しかし、その後村の共同体基盤が解体されていくにつれて、農村においても徐々に家父長制が浸透していくことになってしまうのですが・・・。

それでは、都市(町)ではどうだったのでしょうか?

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