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三無⇒しらけムード⇒食いつぶし。。。

1970年の代表戦士といえば、ご存知『団塊世代』。

さて、団塊世代という言葉があるくらいですから、時代の象徴として様々な動乱に関わってきた世代のように思われがちですが、実は団塊世代というのは、タイトルにあるように実はあまり中身の無い時代を「無思想・無気力・無関心(三無主義)」に生きて来た世代だったりもするのです。

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1970年以前の男達は、前項で書かれていたように「企業戦士」「モーレツサラリーマン」として、それこそ本物の経済成長を支え、時に60年安保闘争など、思想を掲げ変革闘争を繰り広げた世代 :tikara: でもありました。

即ち、闘っていた男達が築いた線路が既に敷かれており、後は上手くその線路に乗っかりさえすれば良かった世代が、団塊世代であった、という事です。

続きの前に、 応援 よろしくお願いします。

’70年までの全共闘運動などには、一部団塊世代も絡んではいました。しかし、当時まだ進学率が低い中での出来事であった為、団塊世代の2割にも満たない一部の層が携わったに過ぎず、かつその大半は特段の思想追求を行っていたというよりは、目立つ為にお祭り騒ぎに参加したに過ぎないとも言われています。

では、当時の男達は女達とどのような関係性 を築いていったのであろうか?

まず、一つ目に注目すべきは、恋愛婚が見合い婚を完全に上回った世代である、という点。
興味深いのが、この恋愛婚最盛期、女性達の間では「ウーマンリブ運動」が活況を迎えています。

この運動、現代から見ても相当過激なもので、当時街で配られていたビラには、「女たちは便所じゃない!」「男たちの便所じゃない!」等と言ったかなり過激な言葉が並べられていたようです。

ところが、この様な時代背景とは裏腹に、当時は同棲ブーム、あるいは専業主婦の増加といった傾向が一気に表れた時代でもあります。神田川という歌謡曲が1973年にヒットしていますが、「ただ優しいだけの男」と「不安なままにそれを見つめる女」の心境が描かれています。

参考までに、下記グラフを見て下さい。

第3節 男女の意識とライフステージ [2]より引用

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1973(昭和47)年は、「女は家庭に入るべし」という意見が4割を占めていたが、
2002(平成14)年には、「女も働き続けるべき」という意見が4割となっています。
それと同時に、男の給与所得は対前年比で下落の一途(一部バブルによる上昇はあったが)。。。

完全に、男が力の基盤を失っていった状況 が見て取れますね。

さて、当時の時代背景を表すトピックはまだまだ沢山ありますが、この時代、実は生物史上も人類史上も初の大パラダイム転換が起こっているんです。

それは、「貧困の消滅」というキーワードで表されます。

即ち、高度経済成長を経て、物質的な豊かさを手に入れた時代。こう書けば輝かしい時代 のように聞こえますが、その輝きが消滅 した時代とも言えるんですね。

要するに、それまでは「豊かさの実現」に向けて男も女も協働して闘っていた訳ですが、その目標である私権の獲得の為の線路は既に敷かれており、特段困難な課題でも無くなってしまった。そうすると、闘う必要の無くなった男は、ただひたすら女に寄り添い、先の事など考えもせずに、ただ無難に毎日を過すようになっていった、というのが神田川的三無男達の姿だったのです。

これは、比較的分かり易い構造です。

豊かさの実現とは、イコール物が行き渡った時代。そうなれば市場の拡大は頭打ち、仕事の成果もそんなに簡単には上げられない。しかし一方で、生活をするにはさほど苦労もしない。それとなく仕事をしているフリさえしていれば、なんとかなってしまったんですね。その結果、団塊世代はその後「食いつぶし」と言われ、いずれ家庭では「粗大ゴミ」扱い、成れの果てが『濡れ落ち葉』。。。

なんとも悲しい現実が待ち受けていた、というわけですね。

しかし、この世代は同時に恋愛婚から一気に都市で核家族世帯を拡大させていった中心世代。闘わない、考えない男達を尻目に、女達は「3食昼寝付き」を手にしていったのでした。

なんだか、奥が深いんだか、浅いんだか、微妙な姿が見えてきました。

ただ、少なくとも確実に言える事。それは、集団や組織を導く「闘う男」が消滅した、という事実。これは、その後の密室家庭の暴走と、決して無関係ではないでしょう。

この時代の転換は、詳細に追求する必要がありそうです。

かわいでした。

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