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家庭の密室化は戦後急速に進行した~その1~

さて、江戸~明治~大正~昭和と、家族史を辿ってきましたが、現代の核家族という聖域の創成期が、ついに見えてきました。

当ブログでも以前に取り上げられた事の有る、

<現代家族>の誕生-幻想系家族論の死 [1]
岩村暢子著/勁草書房/2005年6月

の中に、現在形家族形態の成立過程がまとめられています。

今日は、その中でも大きな価値観の転換点と、その内容を何回かに分けて紹介したいと思います。

「核家族」を聖域化させた価値観の大元にあるのは、「自分」「プライベート」といった私的領域の強調にある。そして、その価値観の最初の根付が行われたのが、戦後教育の大転換にある。

5 墨塗り教科書──「新教育」で育った女たち

suminuri_3_2_320.jpg [2]
画像はこちら [3]からお借りしました。ページ全体が真っ黒な教科書。殆ど意味が無いですね。しかし、生徒達自らの手でこの様に墨入れを行わせた、という事自体が、強制的な価値観の転換を促す意味合いを持っていたのでしょう。

1945年敗戦により、文部省通達によって行われた「教科書の墨塗り」によって、それまでの教育内容は大幅に改良が加えられていった。その中心軸であったのが、「民主主義」「男女平等」といった近代思想の概念。当時は、まだ大家族で兄弟の多い時代であったが、墨塗り教育を受けた世代から、しきりに『自分』という言葉を使い始めた、と書かれています。丁度、現在の70前後の世代の方々です。

それは、旧規範の否定へと直結し、それまでの女性像は同化の対象から外され、「真似したくない存在」へと変っていきました。

では、当時価値観を転換させた女性達はその後どういった方向へと進んでいったのかというと、

自分の好きな仕事をし、

自分のやりたい遊びを始め、

自分の気に入った相手と結婚し、

自分の自由時間を手に入れる、

という幸せ?の家庭像を築き上げていったのです。

日本の戦後復興には凄まじいものが有り、当時の経済成長は見事に女性のその様な願望を充たす方向へと発展を遂げていきました。

どの家庭にも当り前のように家電が普及し、主婦の家事の時間は急速に圧縮されます。

ここで興味深いのが、当時の女性達がその様にして空いた時間=余暇をどのように過したか?という調査結果。裁縫(27%)や編み物(10%)に加えて、子供の相手(10%)といったものが登場した事が、昭和34年労働省調査に掲載されています。

即ち、それまでは「子供の相手」というのは家事の一部でもなんでもなく、特段主婦だけの役割という認識も無かったのです。というのも、経済成長を遂げる以前は、都市でも農村でも子供は10歳にもなれば当然のように仕事をしていたのです。むしろ、子供という概念すら無かったのでしょう。

戦前までの家庭では、親の言う事は絶対。但し、両親共に働きに出ており、家の事などやってる余裕も無い。よって、家で食事の支度をするのは長女の仕事、と決まっていた家庭も多かったそうです。子供の面倒を見る、などといった状況ではなく、大人も子供も家族一丸となって、生きる為に働いていたんですね。

ところが、戦後経済成長が余暇・ゆとりを生み出し、「自分の時間」を持て余した主婦達が、暇つぶしに子供の面倒でも見ようか、と始まったのが、1960年の「お子様時代」の始まりであり、後の過保護+我が子の受験戦争ムーブメントを生み出していったのです。

さて、これはトピックの一部ではありますが、当時率先して専業主婦の地位を築いていった女性達は、当時の事をどのように振り返っていると思われますか?

一つ目は、

「価値観というのは変るものだ 😯 」

という意識転換。

もう一つは、

「主婦って暇なのよね~ :nihi: 」

なのでした。

3食昼寝つき

当時の主婦達が持て余した時間に、するどく漬け込んでいったものが、お昼のワイドショー でした。。。

如何でしょう?

今の私たちが当り前だと思っていた事も、このように遡って見ると、かなり劇的な変化を遂げて現代に至る、という事が見えてきますね。

戦後の潮流変化については、今後も追求を深めていきます。

今後のポイントとしても押えておきたいのは、

「価値観というのは変るものだ」
という事。

今後の可能性を探る上でも、価値観はこれからも変っていくものでしかない、という姿勢での可能性探索を続けて行きたいと思います。

続編をお楽しみに!

かわいでした。

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