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2008年08月07日

「家」から「家庭」へ 『住まい』から時代を読み解く その1

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写真は ここ からお借りしました。

わっと”さんに引き続いて、“家庭”を“住まい”の点から見てみたいと思います。

家庭”という言葉が、メディアに登場しだしたのが、明治20年代。個々人が営む家族の生活を“家庭”と呼ばれ、日露戦争前後の明治30年ごろには一般的に普及していった。

それ以前は?というと、

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それ以前は?というと、

人々が住まいに対して、雨露を凌ぎ寝る食べるという機能以上のことを望み、それを実現化できるようになったのは、近代に入ってからと言ってよい。「人類は長い間〈ふたつの住居〉しか持っていなかった。一つは、もう一つは小屋、大部分の人は小屋に住んだ」。

そして、

やがて、小屋に住んでいた大部分の人の中から、従来の生活様式に対する批判と西洋憧憬によって「もう一つの生活価値-知性的、合理的、人間的、家庭的な生活という価値」 を学びとる人が出現してくる。日本近代住宅の変遷は、形式的にはもっぱら西洋化として進んだが、
― 明治後半から大正期―を中心として
それは思想史的にみれば、近代的「個人」の発見の歴史であり、自覚的主体者となった個人の心身の居場所としての「生活」の発見の歴史であった。そうした個々人が営む家族の生活は「家庭」と呼ばれ、それを容れる容器として初めて「中流住宅」が注目された。

それまでは、家の中にプライベートな場所(空間)というものは無かったのではないだろうか?
江戸時代でいうと、大部分の人口を占める農村の家においては、大家族で住んでいたり、分家という形で家は分かれていても誰でも出入出来、そして、都市部においても長屋に代表されるように筒抜け状態であった。

それが、一転しだしたのが、明治時代に導入された西洋の近代思想とりわけ、個人主義思想と近代化=市場化である。

そして、それは、明治政府が推進した『富国強兵』『殖産興業』と密接に繋がっている。

明治政府は、藩や村に帰属していた農民たちを、『家』を中心とする家制度によって国家を中心にまとめ(支配し)ようとした。その家規範の反の意識と市場化と個人主義思想が相まって「家庭」という言葉は流行ったのではないだろうか。

西洋に追いつくために取り入れた西洋に基づく思想や制度を浸透させるのに役立ったのは、教育やメディアの影響もあったのだろうが、ガス燈や機関車や洋館といった西洋文明の到来を鮮やかな視覚化(ビジュアル化)の影響は(都市部に限定されるのかもしれないが)大きかったであろう。
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工業化は、今までの職住一体であった生活を一変させる。
働く場所とその労働による疲れを癒し、くつろぎ個的充足を愉しめる場である住まい=家庭を別のものとする、職と住の分断である。

また、工業化⇒市場化の発展は、新興中産階級を生み出し、
西洋化による洋館や和洋折衷住宅は、住まい方を変貌させる。

従来の和風住宅は、

①客間重視、
②プライバシーの無視、
③各部屋の機能の不明瞭性

が大きな特徴で、即ち、単に形式のみでなく生活思想を含めて家族員の「個」の確立度が低く、家族の私的な空間は圧迫され、家長中心の公的な接客空間が重視される空間構成であった。

一方、洋風応接間を付設する住宅は、
①公的な客間空間が私的空間と切り離され、
②和風空間は家族専用の解放区としての性格を持った。(中略)

家族生活における接客機能を果たす公的空間が夫領域として部分的に限定されたことによって、逆に「寝る・食べる・憩う」という、住まいの本来的な役割を担う空間が妻や子どもの領域として解放され、即ち、住まい全体は「女性化」し、「私化」するという思想史上の変化を意味したのである

夫領域であった接客機能を果たす公的空間でさえ、現在では、女性のものとなってしまっている。

戦後の高度成長期以降と思っていた核家族化の走りは、既に大正期に始まっていた。
この辺りを、『住まい』の点から、次回、みてみたいと思います。

参考および引用元は、
「住まい」と「家庭」思想 ―― 明治後半から大正期を中心として ――

投稿者 sodan : 2008年08月07日 List   

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