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言語能力の低下と育成~お子さんの通信簿の総括は?~

夏休みに入りましたね。
と同時に、小中高生は「あゆみ(成績表)」もらって帰ってきたばかりの時期ですね。
つまり、日頃の学習について、総括しなければならない時期でもあるということです!

そこで、学力低下⇒言語能力の低下について、

まず、「今日の気になる言葉123~これでいいのか、日本語・日本人~ [1]」より、

◆–
「子どもの言語能力の育成。」
のための有識者会議を文科省が設置したと本日の「日本経済新聞」朝刊。「文章を批判、分析する力を育てることが大事」なのだとか。私はまず、様々な本を読む習慣、想像力を育てる授業を最優先してもらいたい。この2点の衰退が恥ずべき言語能力の低下を招いている。(No.1878/06.6.13)
–◆

なるほど~
様々な本を読む習慣、想像力を育てる授業…

しかし、そもそも、今や(社会で通用する力を身につけるための)『同化対象』(と同化訓練)が欠けていることが問題では?(“繰り返し”読むべき本や、“繰り返し”学ぶべき想像がない)

現実に通じる力は、現実の中からしか、得られない。

しかし、今の子どもたちの周りには、空想(幻想)に根ざしているものの多いこと…

★読書★ [2]

次に、「既存の国語教育では、「社会」に通用しない。 – るいネット [3]」より、切実な思いを紹介!(同じシステムエンジニアとしても、非常に共感!)

◆–
この連休中、高校来の友人と話す機会があった。入社3年目の彼は某有名銀行のシステムエンジニアをしており、今は合併によるシステム改良で息をつく暇もないという。

さて、そんな彼が興味深いことを言っていた。
「最近、いろいろなカタチで文書をまとめることが多くなった。報告書はもちろん、外注先にあげる見積書や指示書など。ほんまに苦手やわ。どういう書式で書いたらいいのか見当がつかんことが良くある。つくづく、もっと文章書く練習しとけば良かったと思う。」

(中略)

彼は続けてこう言う。
「今の国語教育はおかしいと思うで。問題解かせて、それでしまいやろ。それで点数が出る。中学校の国語なんか、授業中ずっと寝てたわ。それでもテスト範囲だけ直前に暗記したら満点取れるんよ。学生時分はそれで良かったかも知らんけど、社会出てから痛感したわ。選択肢の問題なんか、何題解いても、相手に伝わるような表現ができるようにはならん。もっと一つ一つの文章をじっくり読んで、その背景や作者の状況を探る読み方をしとけば、今もっと仕事楽なんかなぁと思うわ。」

彼も、「国語=ツマラナイモノ」としてとらえ続けてきており、社会に出た今、「役に立たない教育」と認識した。これはごくごく自然なことだと思う。少なくとも、
>対象世界に同化するということを掴んだら、自ずと思考は事実認識=自然の摂理に向かう
という国語の本質的在り方とは程遠い。言語はあくまで相手とのコミュニケーション手段であって、上っ面だけでは何の役にも立たないものである。

現代の国語教育(あるいはその診断材料である試験)に可能性は感じられないというのは、学生でも教壇に立つ国語教師でもなく、実際に国語を武器として使う社会人の、潜在的な、そして率直な意見だろう。
–◆

なるほど~
言語はあくまで相手とのコミュニケーション手段ですね。

つまり、
言語能力の低下の前に、関係能力の低下があるということ。
(観念機能の低下←共認機能の低下)

★ミラーニューロン★ [4]

さて、最後に、神戸女学院大学教授・内田樹氏のブログ [5]より、さらなる気づきが!

◆–
養老孟司先生が書評で取り上げてた月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ、2008年)を読む。
御影駅の待合室でぱらりと開いて、「私は人工知能の研究をしていたが、数年前に人間並みの知能を実現するには『身体』が必要であるという考えにいたった。」(4頁)という箇所を読んで、思わず「おおおお」とのけぞってしまった。

(中略)

そのあと池谷裕二さんと対談したときにミラーニューロンの話を聞いて、学習というのが決定的に身体的な経験であることを教えていただいた。
それから島﨑徹さんと出会い、その指導を見て、身体図式のブレークスルーは知的なブレークスルーと同期するということについての確信が深まった。
そして、この本を読んでいろいろなことが繋がった。
月本さんによると、最近の脳科学の実験により、「人間はイメージするときに身体を動かしている」ことがわかった。
月本さんはこれを「仮想的身体運動」と呼ぶ。
「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」(4頁)ということである。

(後略)

–◆

なるほど~
同化能力の低下の前に(同時に?)、身体能力の低下があるということ。
(共認機能の低下←本能の低下)

さて、大胆にまとめますが、要は、

言語能力の低下←関係能力の低下←身体能力の低下!
(観念機能の低下←共認機能の低下←本能の低下)

すべては、1970年頃に、貧困が消滅し、本能を直撃するような生存圧力が低下したことが背景となっています!!

以前に、乳幼児の子育てと言うと、母子関係⇒おっぱいと抱っこによる「親和機能の獲得」であり、幼少期の子育てと言うと、仲間関係⇒相手の気持ちを掴む(または空気を読む)という「共認機能の獲得」であり、青年以上になるほど、外圧⇒自然環境や社会状況を掴むという「観念機能の獲得」が、中心課題になっていくと書きましたが、それらの大前提に、『自然外圧の中で身体を動かすこと』があるのだと気が付きました。

つまり、特に幼少期には、「自然体験」と「仲間体験」を同時に達成する機会が求められる!と言えるのではないでしょうか?(夏休みこそ、そのような機会に当てる時期になるのでしょうね♪)

★自然体験学習教室の広場★ [6]

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