- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

共同保育の可能性(^υ^)/part5~共同保育事例:白川郷の子育て

「共同保育の可能性(^υ^)/part4」 [1]では、共同保育事例としてイスラエルの生産共同体キブツの「子どもの家」を紹介しましたが。今回は日本の少し前の時代の事例、合掌造りで有名な白川郷の大家族制の子育てを紹介します。

DSCN0901-2.jpg [2]
白川郷の合掌造り集落(「世界遺産 白川郷合掌造り集落」 [3]さんより借用しました)

かつての白川郷の大家族制では、子どもはみんなで育てるものでした。母親たちは、誰の子でもおなかをすかしている赤ん坊いればおっぱいをあげたようです。まさに、みんなで子育てです。

応援よろしく

白川郷の大家族制での子育てを『るいネット』 [4]の投稿から紹介します。

『共同体では、子供はみんなで育てる。』 [5]

大家族制度で知られる飛騨白川郷からの江馬三枝子氏の考察もおもしろいです。

飛騨白川郷の大家族の家々では、一軒の家の縁側に、エズコ、エズメなどと呼ばれる藁でつくった入れ物が六つも七つも並べてあり、その容器にどう赤んぼうたちを入れて、母親たちは田畑に出かけた。赤んぼのほうは母親の帰りを待っている。

仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤んぼに乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤んぼ満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。

この話は真の共同生活を確保するためには、女たちの育児の共同性にまで及ばないとならぬことを示唆している。子供が生まれた場合、母と子の強固な紐帯が生まれて、他者との連帯を脅かすようになる。白川郷の場合、それがたくみに抑止されている。
 ———————————————————–

上記の事例は、生産集団である共同体を基盤とし、その共同体を維持するための規範に基づく行動が残存していたといえます。共同体を構築し、維持するには生産・闘争過程だけを共同にするだけでは不十分で、子を育てるといった生殖過程も包括しなければいけないことをあらわしています。また、誰の子というこだわりなく育てていくことで女性の自我も自然と抑制される、または自我が萌芽しないといったほうがいいかもしれません。

意識が個人に分割された現代でのお互いの助け合いといった母親たちの動機に比べると、集団に立脚している分、女性の強さを感じます。

共同保育の実現を目指す上で、【仕事の場(=生産の)と家庭(=生殖の場)が一体となった場】【母親達が子育ても生産活動も担う】が重要なキーワードになりそうですね。

%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B3.jpg [6]←これがエズコ(「4.5畳の庵からの視界。」 [7]さんから借用しました)

でも、よその子におっぱいあげるってどうなの???と男である私はつい思ってしまうのですが、母親にとっては結構簡単な事のようです。

『よその子におっぱいあげるって簡単なこと』 [8]

私には、四歳ともうすぐ三歳になる女の子が居て、実際子育てをして初めて知った感覚が沢山あります。

白川郷の話を読んで、とても素直に共感しました。子供を産んだ女というのは、確かに母性本能が生起します。赤ん坊に対してなんとも優しい気持ちになります。でも、そこに自分の子供だから、と言う感覚は無いんですね。

赤ん坊そのものを捉えれば、その存在はまったく無防備で、分け隔ての無いものです。乳児であればなおさら。泣いていれば抱き上げてあやしてやりたい、お腹がすいていればおっぱいをあげたい。例えば、自分の子と他の子と 横並びに何人か寝ていて、自分の子は満足して他の子がお腹すかして泣いてる場合、おっぱいあげるだろうなあ。さらに仲間の子であったら、それこそ何のこだわりも無い。

この感覚、自分自身でも意外で面白く感じたので公園ママ友達に話した所、皆「あげるあげる~」と言う答えでした。きっと子供産む前だったら、「え、よその子に母乳上げるって、どんな感覚?」てびっくりしただろうと思う。それまで、私が知っていたのは、私権や個人の観念に基づく育児だったから。

子供に対して危害を加える様な存在は敵と見なすだろうけど、同様の状態にある母親は、同じ課題を共有する仲間と感じる。
自分の子だから、よその子だから、と言う感覚は、子供の背後に私権や個人の観念にまみれた大人の存在を感じて、そなわっていくのではないかなと感じました。

共同保育を考えるにあたっても、こういう素直な感覚を捉えていきたいなと思いました。

母親って頼もしい存在です。共同保育の実現を目指す上で、新たなキーワードは、【同じ課題を持つ母親達の連帯感】でしょうか。母親たちが、生産課題を担いつつ、安心して子育てができる環境を考えていく事が必要なようです。(さいこう)

[9] [10] [11]