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江戸時代の武士の婚姻様式には、現代に近いものが・・・

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写真は ここ [1] から

江戸時代 身分制度では一番上に当たる武士
武士の家族の実態を探ってみたいと思います。

武士の家族や婚姻形態と言うと、
真っ先に思い浮かぶのが、“大奥”そして、“正室”“側室”“人質”“政略結婚”・・・
テレビの見過ぎ!?

と断片的、かつ曖昧。また、武士といってもピン(将軍)から(長屋に住む傘貼りで食い繋いでいる)キリまで、幅広い階級とそれに伴う婚姻形態がありそうです。また、江戸時代といっても260年も続き、時代によっても違っているのでしょう?

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家族形態に入る前に、言われてみれば、当たり前なんだけど、土地に縛られている農民に対して、武士は土地に縛らず、相続権さえもない。現代で言うと社宅に住んでいるサラリーマンみたいな感じでしょうか?

ポイントとしては、
私有意識がない。(持てなかったという方が正確?)
これは、農民にも言えることで、田畑は自分の所有というより、その村に所属するものであり、そこで耕し糧を得ているだけで、私有できるもので無い。武士も働きに応じて禄が与えられるが、相続できるものではなく、死んでしまえば、取り上げられ、子供がいれば改めて、働きに応じて与えられる。
実際は、反逆等がなければ、(相続願いを届けて)そのまま相続されることが多かった。
(参考:江戸時代の婚姻と相続制度 1 [2]  )

では、本題である
婚姻様式、家族の形態はどうであったのか?
これが、結構面白い。現代に通じるものがある。

武家の戸籍の不思議 [3] より

◆武家の婚姻に関する不思議

武家の婚姻制度の不思議
 武家の婚姻は武家諸法度に規定され、幕府か藩の許可が必要だった。重婚はできないが妾や側室を置くことはお構いないと言う不思議な制度である。妾や側室は正妻の家来扱いで妾の子供が家督を相続して初めて家族待遇を与えられる準家族として扱われる

不倫が多かった
 武家は命令婚であり、結婚するまで互いのことをまったく知らないこともあり愛情が薄い。国許か江戸で結婚した藩士が異勤を命じられると長い間会えない事情もあり不倫が多かった。
 不倫は「姦通罪」という犯罪行為であるが武家の場合は公儀に訴え公にすることは「御家の恥」を世間に公にすることを意味する。公になれば当主の「家内不取締」が理由で出世に響き、家禄の減俸を命じれれる危険性があり、お金など内々で解決することが多く「気軽」に不倫が横行した。「首代七両二分」という不倫の相場の俗語まで生まれた。

意外と誰とでも結婚できた
 武家諸法度によると結婚できるのはお互いの家の家格が離れすぎていないこととなっている。俸禄にして二倍以内が順当のようだ。出世目当てで低禄の家が娘を主や重役の妻に差し出し縁戚として権勢を振るうと政治が乱れる原因になると考えたのだろう。
しかし、側室ならあまり問題はないようだ。身元が不確かな女性を側室にしたい場合は(中略)しかるべき人物の養女にすればいいようだ。

おおらかであったと言えば、それまでだけど、
戦乱の世が治まり、外圧が緩み、安定期に入った江戸時代になると、領土を奪いとる・守るといった私権意識は薄れ、それに伴う政略結婚も必要がなく、出世する可能性が閉ざされ、身分が維持され続ける程度の規範が守られていればいいという世の中であったのではなかろうか。
将軍になると、ぜんぜん違うのであろうが・・・・。

また、最近にしかない傾向なのかと思っていたら
妻と夫の財布が別であったり、
・今で言う結婚前の親との同居というお試し期間があったり、と
既に江戸時代には行なわれていたりと興味深い。
(参考:小兵衛達の暮らしに関する法律と制度 [4] )

まだまだ、断片的な内容なので、今後、改めて探索してみたい。
追求したいポイントを挙げておくと

・時代区分によって変遷があるのか?さほどないのか?
・身分による違いも押えておきたい。
そして、武士にとって
・家族とは、どういった位置づけであったのか?意味合いをもっていたのか?
・旦那さんにとって、奥さんにとって互いに期待し求めていたものはなんだったのだろうか?

※こんなことも調べて欲しいというリクエスト等も、お待ちしております。

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