| メイン |

2008年05月24日

江戸時代における家庭とは?~町民~

今日は、5/22のかわいさんの記事「現代家族の原点~近代家族誕生の背景に迫る~」を受けて、今の家族制度が誕生する以前にスポットを当ててみたいと思います。

1.家制度における「家族」の在り様、あるいはそれらの規範を形成した背景に迫る
・江戸時代の武士、町民、農民

今回は「町民」です。

江戸時代は、武士階級が支配していた封建社会でした。一般市民の身分制度は士農工商と呼ばれる階級制であり、武士が民衆を支配していたと言われています。武士は城下・町人は町屋・農民は村落というように、住居が固定されるなどにより武士階級と農民とが明確に分離されていたようです。また、江戸には100万人の人口があったとされていますが、農村の家継ぎ=長男以外が丁稚奉公などで流入していたようです。

何となく現代の東京と似ている気もしますが、そんな江戸の町人はどんな暮らしだったのでしょうか?

いつも応援ありがとうございます!

 にほんブログ村 子育てブログへ

江戸の町人は、ほとんどが長屋住まいです。4畳半の座敷と1畳半の土間(台所)があるだけという広さ(参考)。農村の家で大家族というイメージとは正反対で、都内のワンルームマンションに近いイメージでしょうか。

いや、ワンルームマンションとは大きな違いがあります。井戸も便所も風呂も共同なんですね。しかもワンルームマンションに一人暮らしなら同じですが、ここに家族が暮らしていたんです。はっきり言えば「寝る場所」でしかなかったということでしょう。

だから必然的に普段の生活は家の外=町ということになり、夫婦は共働き。子どもは外で遊ぶしかないですね。

もちろん、生活は今のような豊かなものではなかったと思いますし、生存圧力は強く働いていたでしょう。子どもも少なかったようですし、結婚しないで一生をおくる人も沢山いたそうです(部屋の広さからいっても納得)。それでも誰も不安ではなかったようです。

ブログ「勢蔵の世界」より

長屋は一種の共同体で、大家も含めてみんなが助け合っていた。「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」というわけである。困ったら、誰かが助けてくれるという安心感があった。マンションの一室で、奥さんが育児ノイローゼになるなんてことはあり得ないのである。貧乏は確かに貧乏である。自分だけ貧乏なら腹立つが、みんな貧乏である。それでいて気楽で、のんびり暮らせた。江戸には、真面目に働けばとりあえずやっていける社会があったのである。

なるほど、ここに現在の都市の共同住宅との大きな違いがありますね。農村の村落共同体とは異なっていろんな人の寄せ集まりですが、プライバシーみたいな観念とは無縁の「相互扶助意識」で安心して生活していたことが伺えます。そこには長屋という一つの共同体が基盤となっていたからでしょう。

そもそも町人が農村の次男や三男であったことを考えても、武家や農村のような家制度というものはほとんど機能していなかったのではないでしょうか?逆にそのような規範に縛られることがなかった分、楽しい共同生活を送っていたような気がします。

それよりも、バラバラな個人が寄り集まっても共同体が形成でき、相互扶助意識が根付くというような日本人独特の気質があったということが興味深いですね。

その基盤とは何だったのでしょうか?

今後追求してみたいです。

投稿者 hiroaki : 2008年05月24日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2008/05/546.html/trackback

コメント

一見、バラバラにみえなくもない江戸の都市生活も、「相互扶助意識」のあることが現代の都会生活とは大きく違うところですね。
どのように育まれていったのか続きを楽しみにしています☆

投稿者 bunchan : 2008年5月27日 21:49

>bunchanさん、コメントありがとうございます。

仕事に出かける独身の男の洗濯物を隣のおかみさんが洗ってあげたり、どこの子供も着物は長屋の誰かのお下がりを着たり。

他人の子を当たり前のように叱り、子供も困ると他人に助けてもらいに行くといった関係がなんで成立するのか?

まずは、その背景を探ってみたいと思います。

投稿者 hiroaki : 2008年5月28日 20:47

コメントしてください