子育てがそもそも、一家庭での課題ではなかったことは、
わっとさんの 「子育て」は家庭の課題ではなかった [1]で述べられていますが、さらに
いつまで経っても、子育てを第一課題化=子育てが自分のやるべき課題・役割だと思い込み、子供を囲い込んでしまっていることは、子供の成長を阻害しています。
1、欲しいものは、なんでも買い与え、さらには子供の言うことをなんでも聞く。
・それでは要求する批判するだけの消費者=王様と成り下がってしまう。
・常に与えられるものだから壁にぶつかっても、ひたすら答えが与えられるのを待つだけ。
・これは自分のやりたいこと(望むもの)ではないといってフリーターから抜け出せない。
若しくは、社会に適応できずにニート・引きこもりとなってしまう。
(参考にしてネ:ニートとは、私権時代の遺物 [2] フリーター数・ニート数の推移 [3])
2、いつまで経っても自分が面倒を見ないといけないと思い込んでいる。
・子供の大学の入学式・卒業式はおろか就職活動、会社説明会にもついていく。
そして、就職後も親が矢面に立つ。例えば、休みの連絡を本人ではなく親が直接会社へ連絡する。非常識なクレームも付ける。
(参考にしてネ:転職失敗談集 [4] )
(画像は、上記よりお借りしました。)
という状況を作り出している。
いつまで、面倒を見るつもりだろうか?
他の課題に向かわせない限り、いつまでも続くような気がする。
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そもそも、上で述べているようなことが “子育てなのか?” という疑問が浮かぶ。
単に子育てを自分の課題であると自ら捏造しているだけではないのか?
自分が面倒見なければ・・・そして、これだけやっているのにという思いなのだろう。
それが、本当に必要なことなのか、本人の為になるのか考えもせず、自分の課題だと思い込み、口を出していく。それは、社会(周り)と繋がっていないものだから、全てがズレていく。
本来は、親元を離れ、仲間空間そして、社会空間へと同化対象=可能性を広げていくものなのに、社会空間から閉ざされた親しか見えず、適応出来ないでいる。
改めて、何が、問題なのか?
同化対象が、社会から切り離された親では、いつまで経っても社会(周り)の期待を掴み答えることなんて出来ない。
批判・要求の消費者体質では、生産者⇒答えの供給者になり得ない。
最も阻害しているのが、与え続けられるものだから
「なんで?」「どうする?」という思考が働かない=追求力はおろか思考力そのものが働かないことであろう。
今、最も求められている“社会の期待⇒社会をどうする?”
という課題に向かえない→答えに辿り付けない。
という逆ベクトルの位相にあるこということである。