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無差別殺人は何故起こる?

3月23日 茨城県土浦市の連続殺傷事件
容疑者(24)はひきこもり気味で、事件を起こしたことに対して完全に開き直りを見せているという。

この事件に対し、ゲームが原因だ、とのマスコミ識者の分析に対し、その短絡的な分析に対する反論も相当数発信されている。

が、事の本質はそんな所には無いだろう。

何のためらいも無く人を殺し、かつそれをなんとも思わないような人間がどのような環境で育ってしまったのか?

この容疑者は家族の携帯番号も知らなかったという。会話の無い家庭での「引きこもり」という環境が、このような事件へと繋がってしまった。

しかし、この二日後にまた別の環境から、無差別殺人が起こってしまった。

続きの前に応援お願いします。

3月25日 岡山突き落とし殺人事件
18歳の少年は、「誰か人を刺してやろう」と思って家を飛び出した。

こちらの事件は、土浦の件と異なり、少年の父親が事件直後に取材にも応じている。
そのやり取りの中で、印象に残ったのが次のコメント。

毎日新聞ニュース [1]より

 

「(少年は)小学校、中学校といじめられてきた」。家から離れた高校に進学を決めたのも「中学からの知り合いがいないほうがいい」と判断したためという。中学卒業後、「一度だけ『いじめたやつらに復讐(ふくしゅう)したい』と話したけど、『そんなことをするな』と言ったら納得した」。高校での生活は楽しそうだったという。

 しかし、経済的な事情で進学を断念した。事件前日の24日夜、自宅で食事中、茨城県の連続殺傷事件のテレビニュースを見ながら、「こんなことするなよ」と声を掛けると、「うん」とうなずいたという。

どこの家庭の食卓でもありがちな会話ではないだろうか。さらには、

 25日朝は、ゲームをして、仕事に出かける両親を見送った。1日1回は息子と携帯電話で話していた父は出勤後、電話をかけた。「就職活動、頑張れ」と励ますと、「はーい」と返ってきた。「普段と変わった様子はなかった」という。

こちらは、父親と毎日電話で話していたと書かれている。しかし、電話が通じたのは、その日の朝までであった。

これら二つの事件に、共通項を見出す事は難しい。殺人に至るまでの背景・動機も、様々な要因が絡み合っているだろう。

方や、全く会話の無かった事が想像される家庭。(無期待・放置?)

方や、毎日のように父親から声を掛けられていた家庭。(過保護・過干渉?)

いずれも、同じ屋根の下に住みながらも、息子の心境の変化を察する事も、暴走を止めることも、出来なかったのである。

これを、個人の問題や、ある特殊な家庭の問題として片付けてしまってはいけないように思う。

どこにでもある普通の家庭で、ちょっと上手く行かない出来事が蓄積され、行き場を失った若者の心が暴走してしまったのだ。

親を攻めても、この手の事件は解決はしない。親にも、答えが無かったが故に、起こった出来事なのだから。

また、この様な事件が立て続けに報道される事によって、社会の人々の警戒心は一層高まり、ますます「個」の壁が厚くなってしまう事も危惧される。

現実を見れば、上手く行かない事などいくらでもある。だからこそ、一人で抱え込まず、周りに期待し、共に壁を乗り越えていく充足を、人は活力源にしてきた。そのような人と人との心の繋がり、共認関係を破壊する構造だけは、絶たなければならない。

PICT0117.jpg [2]

人と人との間を繋げるものは、マスコミ でもゲーム でも批判 😆 でも無い。もちろん、法律 やマナー でもない。

課題を共有し、役割を共認し、評価を認め合う、という過程に向かうこと。その為に、素直に期待しあうことさえできれば、人の間に壁は要らない。

かわいでした。

最後に、ご意見+応援、宜しくお願いします。

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