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学校ってどうなってるの?51~学力低下の現象から~

学校ってどうなってるよ?51では、~学力低下の現実~として、昨今、マスコミを賑わしている「学力低下」についてネットで拾って見ましたが、いやはやここまでひどいとは・・・・とほほ。。。。。 🙁 🙁 😥 😥
(マスコミの誇張報道にもある程度、影響されているとは思いますが・・・)

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さて、どんな現象が言われているのでしょうか?まず、そんな現象を
【ピックアップ!】してみました。

◆現象事例
 簡単な四則計算や九九ができない!
 ローマ字で自分の名前を書けない生徒!
 作文で「めちゃくちゃムカついた」などと書いて平然!
 分数ができない大学生。
 「骨が折れる仕事」は「骨折する仕事」という中学生レベルの大学生!
 数学においても、日本語能力の不足が足を引っ張っていることを実感!
 =(イコール)の意味がわかっていないと思われる学生!
 平仮名の作文、「八つ」を「はちつ」=国語力低下、教師9割が実感!
 数え方を知らずに、何でも「個」とする児童!
 漢字が書けず、文章が書けない!
 人の話を正しく聞けず、論理的思考が出来ない!
 表現力、想像力が乏しく、対面でのコミュニケーションがとれない!
 状況判断ができず、応用力・問題解決能力がない!
 指示されないと何も出来ない!
 「退避勧告」読めない―成人の4割
 小学生の4割が「太陽は地球の周りを回っている」と認識!
 割り算が特に苦手な中学生!
 小数が出てくるとますますよくわかんないという中2!
 1mが何センチがかわからない中1!
 わり算を逆さまにするし、3÷2を分数で表せない。しまいには15-14を筆算でする中学生!
 自分の住所や電話番号が覚えられない中学生!

などなど。

大人や教師、先生の嘆きを聞いていると切りがないようです。なんか、【出来ない!】のオンパレードで、これこそ、大人たちのるいネット「現実否定の倒錯思考」 [1]ではないだろうか?と思ってしまう。

 学力低下するのは、世間では「ゆとり教育のせい」とか「教師が駄目だから」とか「教育制度が問題」とか、「政府の方針が間違っている」とか「教科書が悪い」とか「家庭や地域が教育能力を失った」とか、自己正当化と他者否定のオンパレードですね。

 そもそも、学力が低下したのは、素直な子供たちが今の学力を習得する活力や目的を見失ってきているからです。若者的に言えば「そんなの意味ないジャン!」となるのでしょう。

 これは、どういうことでしょうか?大人たちは、やはり、私権原理のレールの上で、いい生活を求め、その路線でいままでの私権獲得が正しいと思い、学力習得がいいもんだと思い込んでいます。しかし、世の中、私権獲得という統合軸を見失いふらふらと迷走し始めて、2000年には崩壊し、社会の統合軸がなくなり収束不全に陥って、何のために生きるの?みたいな適応不全に陥っている人々もいるくらい、混迷しています。そこにきて、今までの学力を習得したところで、何にも解決には至らず、九九ができようが、漢字が読めようが、地球が太陽の周りを回っていようが、現実の課題に対する答えが見つからないから、勉強する気にもならないわけです。

社会全体がそんな場の雰囲気に支配されれば、誰に答えを求めたって、答えがでないのは必然です。

「何で勉強するの?」「何で学力が必要なの?」 に答えられますか?? ということです。

 答えは簡単です。社会や人々の意識は混迷し、適応不全に陥っています。このままでは、環境破壊や食糧問題、マスコミの共認支配の問題や肉体破壊(ガン・成人病など)、精神破壊が続く現在の私権原理のままでは、人類を滅亡させてしまいます。自分さえよければいいという私権原理の価値観では限界で、食うに困らなくなった現在、昔の価値観では、適応できなくなるのも当然です。そこに、新しい事実認識・歴史認識を深く探って、現在の状況判断を構造化し、新しい視点で、このみんな期待に応えるべく、能力と知識、知恵や勉強が必要になってくるのです。

人々の混迷した意識を整除、構造化し、新しい認識をもって、社会の統合秩序を再構築する。
そのために、勉強するのです。学力≒能力が要るのです。だから、勉強する場面は、学校や、受験勉強だけではないのです。もっと、広い社会での勉強が多くの人の役に立ち、人々の意識の中、共認の中に立ってはじめて、実感と観念習得たる勉強が繋がってくるのです。

こう考えています。

その意味で、私は、現在の学校で使われている共認育成ツールである教科書や教師が教える観念内容がどのようになっているか?が結構、興味深く、研究したいと思っています。(きっと、そこにも、大きなずれや断層が生じている可能性があるので・・・)

教科書の歴史や問題、音読教育や黙読教育の歴史、明治から昭和初期の教育を分析する必要がありそうです。(これは、後段の仲間に委ねたいと思います。)

ではでは・・・・・(2310より)

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勉強!や学力ってそもそもなんだろう!と思いませんか??★★★

定義とか言う訳ではありませんが、もともと、生物には、本能機能や共認機能や観念機能を作り出してきて塗り重ねtられた歴史を持っています。その歴史は、外圧【自然外圧や外敵外圧、同類圧力などの圧力】に適応するため=生存する為に記憶を有しています。単細胞生物では細胞膜の構造が、取捨選択の能力を獲得しているとも言え、原始の記憶といえばいえなくもないと思います。

なんで、記憶をするのか?≒学習するのか?≒勉強するのか?≒能力が必要なのか?は、すでに言わないまでも、外圧に適応し、活力(生物で言えば、代謝を向上させる)を上昇させるためにあるのです。外圧=内圧(活力)の原理が私たちに根本に備わっているのです。

しかし、現在は、その本能的は外圧、一部、残るものの、殆どが克服されてきました。残る圧力は何か?というとそれは、同類圧力であり、そのために、同類の圧力を活力源として適応してゆく(=生きてゆく)ためには、同類の圧力を知る必要があります。また、外圧は、複雑化して、直感で捉えるレベルから国家や地球規模レベルでの圧力も高まりつつあり、見える範囲を実感探索しても分からず、もっと、構造的な論理的な思考能力が必要になってきています。そのための事実を見極める視点で必要となるのが、学習や勉強であるのではなかろうか?と思います。

 当然、そのレベルでは、共認機能(廻りの期待に応える能力や機能)が真っ当に働かなくては、観念が頭の中だけで捻じ曲がってきます。

だから、重要なのが、観念教育だけでなく、共認教育が必要なのです。実は、いままでの言葉なんかどうでもいいのかも知れないし、定理や定義などの固定観念は、一旦、払拭することも必要な時代なんだと思います。昔の言葉はすでに力を失っていますので。

下の女の子の写真みたいに笑顔で学べるのが一番、楽しいのでは・・・!
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それは、

潜在思念に導かれてみんなの役に立てる学習をみんなで勉強できること

がもっとも幸せなのでは??と思います。

2310より

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