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学校ってどうなってるの?48・教育制度の目的・理念は?

 明治維新以降の日本は、驚異的なスピードで、全面的社会構造の改革を実行してきましたが、その中で、教育制度はどうだったのか?まず第一に挙げられるのが、世界的に、就学率が高いということです。

明治 5年:最初の義務教育宣言「学制」。中央集権的制度。
明治12年:教育令
明治19年:小学校令
と、国家主導で、当時の日本の状況にあわせ、いろいろな教育制度の修正を行いつつ、明治43年には就学率ほぼ100%となっています。

 では、国家主導の教育制度の目的、理念とは?

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 まず、明治時代の人々の意識を知る上で、東京帝国大学総長であった、加藤弘之氏の「自助伝」が参考になります。引用します。
((注)以下は、「国民の歴史(西尾幹二:著)」からの引用です。)

 

但馬国出石藩の下級武士の出身である加藤弘之は、東京帝国大学総長となり、貴族院議員に勅撰され、長年、明治の学会に君臨した人物である。

『余の如きは本来貧士族から成り上がったのであるけれども、今日は親任官(天皇によって叙任される当時の最高の官吏、引用者註)をかたじけなくして居るから、宮中席次においては公侯爵の上に列することができるのである。公侯爵といえば、近頃士族から成り上がった人もあるけれども、しかも旧大将軍家、旧五摂家が公爵中のおもなるものであり、又旧清華、堂上や、旧国持大名が侯爵中のおもなるものであることを考えてみると、余等封建時代の老人には、実に奇異なる感が起こるのである。』(加藤弘之「自叙伝」)

 明治の社会は才識、または学芸のある者はいかなる高位高官にも昇進できる。江戸時代とはまったく異なる能力社会であることを、自分は一応承知しているけれども、よく考えてみるとちょっとそら恐ろしくなる、という思いを「奇異なる感」の一語に込めて語ったように思える。

  これらは、明治5年発布の「学制」の理念・目的と関係しています。学制の理念は・・・。

「学制」の理念は、教育は国家のためにではなく、個人のために必要なのだとし、「立身治産」にための学問を説き、「自今以後、一般の人民、華士族農工商及婦女子、必ずむらに不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」と宣言している。

 教育制度の変遷をみても、国家と大衆の統一意識がはっきりしていて、目的に向かって一致団結しているように思える。
 それは、明治時代の国家主導の教育制度の目的は、外国からの圧力と脅威にに対し、何とかせねばという意識が大きかったと思う。だからこそ、それが(日本のもつ集団性と相まって)、驚異的なスピードで全面的社会改革が行われたし、その改革が欧米で行われてきた階級闘争という形ではなかったのだと思う。

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