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■母原病とは何か?

30年前に指摘された構造的育児不能としての母原病。

[1]

30年前の古い本を取り出してきました。「母原病」という言葉を知っていますか?
紹介します。

■久徳重盛著『母原病』(サンマール文庫、1991年※単行本は1979年に刊行)
>第1章 母原病とは何か
>>2.病原体が母親にある「母原病」
>>>「母原病」の子どもがふえている
より抜粋します。

>私は小児科医として、
>呼吸器疾患のため、ぜんそく児だけでも三万人は指導してきたと思います。

>急激な医学の進歩のおかげで、
>一時はわれわれ小児科医の仕事がなくなるのではないかと思ったほどでした。

>ところが、
>仕事が減るどころの話ではなくなってきたのです。

>というのは、
>病気が快方に向かわないことが多くなり始めたのです。
>それどころか、
>治療を受けているにもかかわらず、かえって病状が悪化する例も多くなってしまったのです。

>そのような患者に接しているうちに、
>これは身体的な原因だけでなく、心の問題がからんだ病気ではないかと気づいたのです。

>しかも、多くの場合、付き添いとして一緒にくるお母さんとの関係が強いのではないかと考えつくようになったのです。
>なぜなら、付き添いでくるお母さんには、大まかに分けて二つのタイプがあることに気が付いたからです。

>一つは過保護型の母親で、少し寒いからといっては厚着させ、子どもが少し鼻水を出しているからといっては入浴をやめさせるといったタイプです。もう一つは、ガミガミ型の母親で、ちょっとした子どものいたずらでも激しく叱りつけ、おとなしくせよ、静かにせよといって子どもを萎縮させてしまうタイプです。

>この世に生まれてきたときからずっとこうした母親に接していると、子どもは性格ばかりでなく、体質までも決定してしまうのでしょう。

>つまり、子どもの病気の原因が子ども自身ではなく、お母さんの意識なり考え方なり、子どもとの接し方にあるのですから、それをまず治さなければならないのです。われわれ小児科医はこのような種類の病気を「母原病」と呼んでいます。まさに「母親が原因の病気」です。

以下、この書籍について、補足しておきます。

母原病 – Wikipedia [2]
>母原病(ぼげんびょう)とは、精神科医の久徳重盛による造語である。

>1979年、久徳の著書『母原病―母親が原因でふえる子どもの異常』(サンマーク出版 ISBN 4763182196)がベストセラーになった。この本の主張は、子供の身体的あるいは精神的な病気の多くは、母親の子供への接し方に原因があるというもので、「母」に「原」因があるので「母原病」と呼ぶ。

>高度経済成長期、オイルショックを経て、当時の子供を取り巻く状況は複雑化し、現代に通じる様々な問題が起き始めていた。その代表例として不登校(当時は「登校拒否」と呼ばれるのが一般的)の問題があった。久徳は「登校拒否は母原病」と主張し、多くの母親が「自分が悪いのだ」と自責の念に駆られた。

>現在ではその説はほとんど事実上の説得力を持たなくなっている。

>たしかに、虐待などがあった場合、それは子供の精神的な歪みにつながる可能性があるが、久徳が指摘する「母原病」はそのような特殊なケースではなく、一般的なレベルでの「甘やかし」であるとか、「愛情不足」であるといったもののことを言う。しかし、仮にそうであったとしても、なぜそれが「母」でなければならないのかという疑問が残る。それならば父子家庭の子供は必ず母原病にかかるのだろうか。また、凶悪犯罪を起こした少年の母親はそんなにも他の子供の母親と違っているだろうか。さらに、虐待まで対象に含めるとしても、それは母親だけの問題とは限らないはずである。

>結局は、「子育ては母親の仕事」とされていた時代に、たまたま問題を起こした子供の母親だけを見て、久徳自身が男性の立場からそれを判じたのではないか、という批判がある。

>一方で、先述の、虐待などが子供の精神的な歪みを引き起こすケースについては、現在、アダルトチルドレンという概念に深く関わるものとして、広い分野で問題にされている。そういったケースに深く注目していなかったとしても、親が子供の病理であるという久徳の指摘は、アダルトチルドレンの概念がまだ伝わっていなかった当時の日本においては、斬新かつ重要な問題提起であったと評価する声も多い。

その後、「父原病」という本も出していますが、その指摘を『母親(or父親)の責任』という見方に矮小化するのは間違いですね。

注目すべき点は、これは現代の『構造的な問題』=密室一対家庭における育児の機能不全であるという点です。

つまり、かつては集団のみんなで担っていた育児が、いまでは特定の人物(ひとりの母親とひとりの父親)のみが担っているのだから、その特定の人物のあり様が、強くその子どもに影響を与えるという点には、疑問の余地はありません。

そして、心のあり様が、心身のあり様と相互に影響しあっているということも、解明されつつあります。
症状として表出しているぜんそくの原因は、衛生環境が悪かった時代とは違い、その子の心や生活スタイルにあり、それに強く影響しているのが、その母親や父親である、という構造に変わりはありません。

それほど、特定の母親や父親の責任が重くなっているとも言えますし、社会が特定の母親や父親に責任を押し付けているとも言えます。
つまり、子どもの問題は、常に、一家庭の問題に留まらず、社会的な問題になります。
母原病や父原病の背後に指摘された社会構造に、もっと目を向けるべきであると、Wikipedia [2] を見ると思いました。

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