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『フリースクール』ってどうなん?

Silentserviceです。
家庭ブログで記事を書かせていただくにあたり、「現代の家庭における崩壊状況」を追求する一環として、
フリースクールって何?どんな学校なの?という事を追求させていただきます。

その前に、いつものブログランキング。
クリックおっ願いしまァ~っすっ!!

じ・つ・は!!
不肖ワタクシ、この『フリースクール』なるもののスタッフをボランティアでやっていた事があります。
仕事内容はですね、まあ飯炊きとか運転手とか、まあ引率みたいなもんなんですけど。
状況が次第に把握できてくると、この子達が何でドロップアウトをして、フリースクールに通うことになった
のか?という背景が見えてきました。保護者交流会やスタッフ会議を通じて発見した背後の因果関係の要因として
気付いたのは、親の身勝手ぶりの酷さです。 👿
子供たちはさんざん甘やかされて(何一つ不自由なく与えられて)育ってきているので、自分の要求は何でも通ると
思っているし、通らなければキレるしで、どうにもなりません。その甘やかしの挙句、「手におえないから押し付ける」ってな感じ で、
子供達は子供達なりに不全や問題を抱えつつも、どうして良いやら分からないうちにフリースクールに入学するという経緯が
ありました…。(そういやクレーム=要求も凄い保護者サンもいたな。) 🙁
そんな子供達は、ヤンチャ :tikara: なのもいたし、おとなしい系 :blush: (引き篭もり?)もいました。
どいつもこいつもある意味普通じゃないけど、プロ並みにピアノが上手だった子、バスケがめっちゃ得意だった子…
長く付き合うようになってくると、何のかんの言ってもそこは子供。親元を離れれば寂しいし、実は意外に素直な面も
あったりで、どうにも人情が湧いたですね。慣れれば結構楽しかったなァ…(→遠い目で空を見上げる)

さて、この問題児たちが通うこのフリースクールとは一体どんな所で、何をする所なのか?
そこから始めてみたいデス。

まず、「フリースクールってどんな所?」とゆー事をざっと紹介します。

●フリースクールとは?
フリースクールの概念はきわめて多義的で、(1)アメリカの授業料無償の公立小学校、(2)アメリカのフリースクール協会(1805年設立)に加入する人道主義に基づく低所得者のための授業料無償の学校、(3)イギリスのサマーヒルのようなデモクラティック・スクール、(4)英米のオープン・エデュケーションを行っている学校、(5)オルタナティブ教育の理念に基づく学校(オルタナティブ・スクール)、(6)不登校の子供が通う非学校的な施設(日本)などの意味で用いられる。外国では主に(3)または(5)の意味で用いられ、日本では主に(6)の意味で用いられることが多い。(1)(2)での「フリー(free)」は、「自由」ではなく「無料」を意味する。
(”フリースクール” 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) [1]』より)

なるほど…
紹介項目(6)の「不登校の子供が通う非学校的な施設(日本)」という要素が、ここでは追求していくのに良い材料に
なりそうです。(1),(2)の『「フリー(free)」は、「自由」ではなく「無料」を意味する』というのも、今になって判ったことですね。

●どんな事やってるの?
フリースクールといえば、日本では草分け的存在である「東京シューレ」が有名ですね。
なので、ここで、この「東京シューレ」を紹介したいと思います。

フリースクール「東京シューレ」HP [2]

東京シューレはこんなところです

ほっとできる場所 -居場所・フリースクール –
東京シューレは、学校には行かないけれども、かわりに何か勉強したい、友だちをつくりたい、すこし変わった体験や経験をしてみた   い。なんていうことができるフリースクールです。

シューレには、校則なんていうものはありません。もちろん、それなりのルールはありますが、それもみんなのニーズに合わせて新しくつくったり、変えたり、無くしたりすることもできます。
また、制服もないので髪型や服装、持ち物チェックなんてこともありません。毎日おしゃれを楽しんでいる人も多いし、持ち物だって自分が必要なものをさえ持ってくればOKです。

そして、シューレをつくっていくのは「シューレ」に関わるみんなです。まわりの大人たちが勝手にルールを決めたり、一方的に評価をしたりするということはありません。

プログラム(講座)からイベント、みんなのルールまで、そのつどミーティングで意見を出して決めていきます。シューレではそれぞれのやりたいことを応援し、サポートしています。
当然、やりたい事が無かったり、あまり気力が出ないな~ってときは何もしないというのもアリです。
(★HP内リンク「東京シューレはこんなところです」より本文引用)

なるほど。
ここで注目なのは、「居場所」という言葉です。
「つくっていくのは”シューレ”に関わる”みんな”です。」という言葉も、何やら可能性を感じるじゃないですか!
って事は…不登校になったり、ドロップアウトしちゃう子の家庭に欠如しているもの。
それがこの「ほっとできる」、「みんなと関わる」、「居場所」という事なのではないでしょうか?
そして、これらの要素が無いという事が家庭崩壊の要因であるとも言えそうです。

でも…
「親が自己中だからほっとできない」?
それだけではないような気もしますね~。
この関係、更に追及していく必要がありそうです。

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