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過保護の本質的な問題

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出所:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093873860/mind06-22 [1]

「過保護のススメ」という書籍があるようです(中身は知りません^^;)が、当ブログのテーマのひとつである『過保護(空間)』の問題性について、端的に認識しておく必要があります。

あらゆる生物は欠乏を充たすために行動し、充足を得るというプロセスを経て一つ一つの能力を獲得していきます。それに対して、ある欠乏を抱く個体(子ども)に、親や周りが直ちに充足(やそのお膳立て)を与えることを続けていれば、その子どもは、あらゆる行動能力を獲得する術を失ってしまいます。これが過保護の本質的な問題だと思います。

充足を得る為に行動する上では、少なからず危険が存在するわけで、いわば危険を潜り抜けることを通じて、状況判断力(危機察知能力や可能性探索力)も育くまれていきます。

出所:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=122240 [2]

これが、自然の摂理です!(自ら逆境を乗り越える経験=主体的な充足獲得体験なくして、成長なし!)

なるほどーと思った方は、以下をクリックしてくださいm(_ _)m

※ちょっと、構造的過ぎて分からないという方に、以下の説明はどうでしょうか。

「甘やかし」以外の、「厳しい躾」による「過保護」というのもあるのです。…「過保護」の定義を「子どもに対して必要以上に世話をやこうとする養育態度。また、その結果、独立心に欠け、依頼心の強くなった子どもの状態。」…

出所:http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/opinion/iitai1998-1/iitai010.htm [3]

結果的には、『主体性』に欠けた存在になるということですね。
そこで、過保護の問題性を鑑みると、以下の状況認識が得られます。

市場社会は消費者の欠乏に対して生産者がダイレクトに充足を与えてくれる社会。消費だけの空間である家庭はそもそも、それ自体が(消費者にとって)過保護のいびつな空間です。

そのような中において、あらゆる危機(更にマイナスや不快)を子ども達の周りから排除していく「安全志向」や「快適志向」は、更なる過保護状態を作りやすい(従って状況判断力や耐力をより貧弱にし、自己中も生まれやすい)、実に危険な潮流でもある事も意識する必要があると思います。

出所:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=122240 [2]

現代の意識潮流は、過保護傾向にあるということですね。
そのような結果、私たち大人の主体性が失われてきたことが、そもそもの問題ではないでしょうか?(自分たちが逃げていて、子どもたちに必要な圧力を生み出せるはずがない

●さて、過保護の問題性を意識すると、次の問題が生じます。
不安なお母さん方は、「過保護(過干渉)が問題なのは分かる。しかし、一方で、無保護(育児放棄)も問題と言われる。ならば、『どこからが“過”保護で、どこからが“無”保護なの?』」という思い(収束不全)が生まれます。

この問題は、どのように捉えたらよいでしょうか

昔は、『年齢(育成段階)に応じた育児』を自ずと行えていたそうです。しかし、今では、それが(情報の氾濫などにより)分からなくなってしまっている、と言われています。つまり、育成段階に見合った適切な育児内容(主体的に充足体験を獲得させるための具体的な対応内容や規範意識)を確立しなければ、育児の合否判断も、育児不安の解消もできません。この点については、具体的な話になりますので、徐々に別稿で扱いたいと思います。

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