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学びって何? ~『学び合い』から考える

学校の授業の試みとして、「学び合い」という言葉をよく耳にします。

「学び合い」とは、子ども同士が教え合い・学び合い・考え合うような授業のようですが、調べてみると意外なことにその実態がはっきりしません。時には授業の進め方として語られたり、何か理念のように語られたりして、捉え方は人によってまちまちのようです。

そこで、もっと分かるようなHPはないかと調べてみたら、ありました! 西川純氏(上越教育大学学校教育研究科教授)のHP【西川研究室】 [1]

この『学び合い』の本質は、次の言葉に要約されています。

我々の『学び合い』は言語という高度のコミュニケーション手段を持った群れる生物が、数百万年の生存競争の中で洗練したものです。意外かもしれませんが、人類の歴史の中で一斉指導が制度化したのは、近代学校制度が成立した200 年弱だけです。それ以外の数百
万年は『学び合い』で人類は過ごしていました。人類の歴史の中で一斉指導が成立したのも必然がありました。そしてそれが廃れていくのにも必然があると考えています。

今の子供たちの意識状況は?、私たち人間にとっての「学び」とは何?というような根本的な「なんで?」を追求し、徹底的に学びに密着して、丹念に記録・分析し、そのような研究を通して考えられた『学び合い』を紹介します。

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『学び合い』の考え方の基本は3つ。

その中の子ども観とは、

●教師は最善の教え手ではない
 授業中の子供たちの分かり方(わからなさ)は多種多様、30人の子どもがいたら、30通りの分かり方がある。クラスのみんなが分かろうとすれば30通りの説明が必要となる。現実問題としていくつもの教え方を、一人の教師が併用して教えることは困難。

 また、教師は分からない子供の気持ちのことはわからない。プロは素人が悩む箇所は自然に(条件反射的に)できてしまうので、分からない人間の気持ちがよく分からない。

 つまり「教師は教えられない」。この限界を乗り越える方法が『学び合い』。クラスには多様な分かり方をしている子がいる。教師には全く理解不能の「全く分からない子」の気持ちや分かり方を理解できる「ちょっと分かる子」がいる。さらに、40人の子どもが教師役になるならば究極の個別学習ができる。

●必要とされる能力は普通のこと
 人に教えるには、特殊なトレーニングが必要であると考えがちだが、それは本当だろうか?

 教科学習の中で、子どもたちが語り合う内容は目新しいものは何もなく、ごくごく普通の会話の連続。しかし、それらの中で、教師では不可能なことを可能としている。ポイントは、徹底的な会話の有無。

 ある子どもが分からないことを人に伝えることは大変で、全く分からない子は、何が分からないかさえ分からないのが普通。子どもは、その様な子に、何度も聞き方を変えながら質問し、その反応に基づき、その子が分からないことを見出すことができる。

 また直接会話に参加していない子すらも、そのような会話を横で聞いている内に、自分の疑問が何であるかを見出すことができる。

●教師と子どもは同じ
 子どもを自分と同じだけのことができる(逆に言えばできない)存在だと考える。そして、子どもも、自分も、大人の同僚も、等しく可能性は大きいことを信じる。

 「子どもは特別に素晴らしい存在だ!」という言葉は、「子どもは特別に愚かな存在だ!」とは違うように見えて、実は「子どもと自分とは違う」という次元では全く同じ。

 子どもたちは、有能。どれくらい有能かと言えば、教師たちと同じぐらい。子どもは教師と同じだけ有能であり、教師と同じだけ無能でもある。子どもは自分と同じだけ有能であり、自分と同じ愚かさがある。

●学び合う能力はDNAに組み込まれている 「学び合い」は教えなければならないと思っている人が多い。しかし、「学び合う能力は生まれつきの能力である」ことを基本前提として考える。

 その根拠としては二つ。

第一は、ヒトは群れ、かつ言語というコミュニケーション手段を持っている。そのような種が、学び合う能力を生まれつきに持っていないならば、数百万年の生存競争の中で生き残れない。つまり、生まれつきの能力と考ええる方が、生物学的に妥当性がある。

第二に、今まで色々な調査の結果、ゴチャゴチャやらなくても子どもたちは学び合えることが明らかになっている。教師がやるべきは、学び合う能力を教えるのではなく、学び合う能力を邪魔しないこと。ゴチャゴチャやらなくても、邪魔しなければ『学び合い』が始まる。


“自分発の学び”から“みんな発の学び合い”への転換が、『学び合い』のポイントのようです。だから、これまでのような上の立場から教える“プロ”の教師はかえって邪魔になってしまうのでしょうね。授業に対する認識転換が必要ですが、これからの“学び”として可能性を感じます。それに、この『学び合い』は、学校教育の場面だけでなく、会社や家庭でも応用できそうです。

 西川氏は「教師は教えられない」という現実を対象化し、それでも教えている子どもたち全員に分かって欲しいという思いを実現するために、研究を繰り返し考えたのがこの『学び合い』だそうです。その現実を直視した姿勢に共感します。

紹介した内容は、【西川研究室】 [1]で公開している「『学びあい』の手引書」の一部を要約したものです。興味が湧いたら、全文に目を通してみてください。 😀

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