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不登校の根本病因:過保護

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出所:http://d.hatena.ne.jp/iDES/20060906/1157531602

確かに、1960年代から1980年代にかけての時代こそが、学齢期の児童生徒がみんなこぞって登校したという点で特異であったとの解釈も可能であるが、現在の不登校生徒の実態は(近未来の日本にとって)非常に問題である。

『不登校』が成立する要件は、
「家にこもって何もしないでいても、命の危険にさらされない。」
(これは、豊かさが実現された先進国、特に日本だけに見られる特異な現象である。)

●不登校生徒の家庭の共通の特徴から見える過保護空間
(1) 父親の影が薄い
(2) 母親が捏造、全てが「自分で」しゃべってしまう。
(3) 子供部屋あり。物がない、食うものがないなどの居心地いい空間がある。

出所:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=165347 [2]
出所:http://crabfaceguy.blog87.fc2.com/blog-entry-68.html [3]

1.不登校の生徒がいる家庭は、ほとんどと言っていいくらい父親の影が薄い。家庭訪問しても母親と面談しても、父親の存在を感じることがない。これらの家庭の父親は、まず間違いなくお子チャマである。子どもの教育に対して、最後まで責任を取ろうという意志または気力がない。直接会って話をしても、大変物わかりがよく、ニコニコしながらうなずいているか、評論家のように、他人事のように、我が子のことを語る。そうでないにしても母親(つまり奥さん)の言うことがそのまま父親の意見なのだ。または「意見」を持っていない。

=社会規範や社会共認、闘争意識や危機意識などが皆無ゆえ、対象性が欠落する。

2.不登校の生徒の母親は、ありとあらゆることを「自分で」しゃべってしまう。教師に伝わってくる「子どもがどう考えているか」という内容は、ほとんど母親が頭の中で捏造、といって悪ければ想像した物語である。また、本人と面接しても、その場に母親がいればもうおしまい、すべて(言葉の真の意味において「すべて」)の会話は本人が首を縦に振るか横に振るかだけで事が済んでしまうように、母親がコーディネートしてしまう。そして、猛烈に干渉しているように見えて、実は猛烈に子どものいいなり、召使いというか奴隷であって(それ系のサークルでそう教わってくるらしい?)、明らかに親としての機能は果たされていない。

=囲い込み、子供の言いなり、奴隷化から過保護空間の温存→子供の自己中へ

3.不登校の家庭は、本人にとって、とても居心地のよい場所である。まずかなりの割合で家には本人の立派な個室があり、しかも内側から鍵がかけられるようになっている。また、パソコンやゲームなどの楽しいアイテムがそろっていて、食事にも困らず、夫婦共稼ぎなどで、日中好き勝手なことをしていても誰からも文句を言われずに楽しめる環境が整っている。場合によっては、「ばあちゃん」という財布が近場にくっついていることもある。

=無圧力、過保護空間、個室化、個室収束できる環境あり。

これは、個人の問題ではない。
みんなに共通する構造問題である!

厳しく言うが、無圧力空間でしか生き延びてこなかった者が、今後、社会の何の役に立つと言えるのだろうか?当然、何の役にも立たない。(すぐには社会に出られず、かなりの期間の訓練が必要になる。)
この事実は、個人の問題に留めておくことはできず、放置し続ければ、日本を危機に陥れる構造的問題になることは間違いない。(学力低下のみならず、より根源の適応力の低下を示す問題の氷山の一角!)

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