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学校ってどうなってるの?38 ~江戸幕府は武士をとことん支配!婚姻制度も?

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風流てらこ吉書はじめけいこの図(部分) 歌川豊国(初代)画 公文教育研究会蔵
画像はほぼ日刊イトイ新聞 [1]よりお借りしました。

江戸時代において武士の教育と農・工・商の一般民衆の教育内容にはかなりちがいがあったようです。
武士階級は朱子学や儒教。→→→かなり観念的な内容。武士としての規範を身につけたのでしょう。
一般庶民は市場社会の発展に伴い、その中で適応できるように必要なことを寺子屋(=町の「師匠」)から教わった。→→→教科書は多種多様。しかもなんと就業年齢が男子のほうが早くからになうので女子のほうが就学年数は長かったようです。(そういちの平庵 [2]さんより)

もう一つ、違っていたのは、婚姻形態です。

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日本において婚姻形態はもともと母系制。

支配階級において、自分たちの息子を手元に囲い込むような形で母系の実態を崩していき、嫁取婚へ以降していった ようです。

なんで息子を囲い込みたくなったのでしょう
息子を手元に囲い込みたい意識は、武士という闘争集団において生起していき、嫁取婚という形態が表面化。

(参考るいネット岡本さん [3] 、るいネット田中さん [4]

室町(1390年~)頃に表面化した妻が夫方の家父長の族中に同居する形態。婚姻は夫方の家父長の手によって行われ、夫方が貰い手。妻が呉れ手という取引観念に基づく。
そして、それを「制度」として男子相続を定めたのは徳川幕府でした。

徳川幕府は、その政策として武家の男子相続を制度化します。(つまりそれまでは、女子も男子と同等の相続権が有る、或いは女性が優先される場合も多かったようです)
幕府が謂わば軍事政権であり、家康が武力でもって天下を統一したことが政権の根拠である以上、その血筋を引いた男子に相続される事で政権の正当性を維持しました。
この武力政権という性格が、相続には女子より男子の方が適切、という結論に繋がりました。
幕府はこの制度を武家全般に適用し、婚姻政策や大名家の断絶改易政策をとる事で政権の安定と長期化を実現しました。

 (るいネット山田さん [5]より引用)

武士の男子相続を制度化した徳川幕府の狙いは、大名をとことん支配するためであったということでしょう。それを実現できたから安定秩序が保たれるようになった。

父系制を私権制度として明確にした武士階級
母系制の流れをくむ一般庶民

婚姻形態が全くちがっていた→教育内容も全く違ってくる というのもうなずける気がします。

[6] [7] [8]