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教育再生のいま…教員評価の方向大きな問題を孕んでいる

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安倍前首相の目玉政策のひとつであった教育再生会議が再スタートしました。

第3次報告に向けた課題は「教員の資質向上」「6・3・3・4制の在り方」など多岐にわたる、ようです。

既に、第1次、第2次報告が出されており、そのフォローアップも進められているが、その中で重要と思われる、教員評価に関するこれまでの議論の問題性を指摘している記事を紹介してみたいと思います。

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教育再生会議で提出された第1次・第2次報告のフォローアップ資料によると、62都道府県・指定都市の教育委員会のうち、60の教育委員会で新たな教員評価を実施しています。(リンク [1]

さて、これまでの教員評価についての議論の方向について、以下のような問題提起がされています。
リンク [2]

●教員評価を強化する目的は、意欲ある教員の支援であると再生会議の報告書にはあります。
 つまり、優秀だと評価された教員は、給与や昇進などで優遇しようというものです。

…さらに教育再生会議の第2次報告にとりまとめられたのが、「教員評価を踏まえたメリハリのある給与体系」、すなわち、個人別の教員評価を厳格にやって、優秀な教員には昇進や給与で報いるというものです。企業で行っている目標の自己申告・評価を導入して、意欲や能力の向上を促す。やる気のない教員は反省してもらい、奮起を促す。それでも改善しなければ辞めてもらう。そうやって「頑張った人が頑張った分だけ報われる」評価システムにしていこう、ということです。

従来の教員評価が形骸化していたのでそれを改めるという意味では必要なことだと思いますが、今進められている方向には以下のような大きな問題点があると指摘されています。

●教員個人の評価を取り上げることによって、教育現場で求められる教員の協働性を破壊してゆく 
 …教員の仕事はチームで取り組むものの方が多いし、逆に言えば、どんなに優秀な教員であっても個人で達成できる成果には限りがある。

日本の教員には、学力向上といった単発の役割があるわけではない
(アメリカなどとは違う)
 …給食指導、就職指導、生活指導など、無限定と言えるほど様々な期待される役割がある。

教育の成果は目に見えない部分が多くある 
 …例えば、問題を抱えた子供を導いてゆくといったことの成果は数値では測れない面があるし、子供の成績といった面でも目に見えて成果が上がるといった形にならない場合もある。

親たちがまっとうな評価ができるとは限らない
 …最近は、学校に無理な要求を突きつけてくるモンスターペアレンツの例のように、消費者主権的なスタンスから学校や教員を見る親が増えている。

この紹介記事では、以下のような観点を提示し、本来は前者が望ましいのに、今は後者の方に議論が行過ぎていると見ています。

教職の専門性を基盤としながら、教育を受ける当事者の意見が通るような仕組みを補完的に取り入れるのか。それとも、消費者の要求を基盤とした学校を作るのか。現在、学校現場はこの分岐点に立たされているのだと思います。

私は、この選択肢は必ずしも適切ではないと思います。

教職の専門性を基盤とする」という考え方は、教育学などの旧い理屈に取り込まれる恐れがあり、大きく転換しようとしている社会の要請から大きくずれる危険性を孕むと思います。

一方、「消費者の要求を基盤とする」という言い方は、最初から否定のニュアンスが含まれた表現ですが、学校現場を限りなく社会に開き出すということは不可欠だと思います。どんな学校が必要かということはみんなにとって共通の課題であるし、「過剰な消費者の要求」も公にされていけば、皆から排除されるようになるはずです。

教育再生会議などをいまの流れのままにしておくと、将来に大きな禍根を残しかねないと心配です。

by わっと

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