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公立高校は何故凋落した?

Posted By hiroaki On 2007年9月28日 @ 6:38 PM In 家庭と市場 | 2 Comments

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まずはこの表を見てください。1960年以降2005年までの東大合格者数の高校別ランキングです。

社会実情データ図録 [2]

1960年では上位のほとんどを国公立が占め、全20校中私立は3校しかなかったのですが、2005年では、逆に国公立はわずか3校となり、残りは全て私立になっていることがわかります。また東京都立高校の名門である日比谷高校に至っては、1965年に181人もの東大合格者を誇っていましたが、1975年以降は全く姿を消してしまいました。 :shock:

公立高校が凋落しこのような逆転現象となった原因は何だったのでしょうか? :roll:

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■その原因は1967年に施行された「学校群制度」

私の田舎でも私が高校受験を迎える直前までこの学校群制度が残っていたことを記憶していますが、東京より高校の数がはるかに少なく私立高校も少なかったので、学校群制度による影響はあったのかなかったのかよくわかりませんが、東京の公立高校の凋落ぶりはちょっと異常ですね。

東京における学校群制度とは何だったのか?

以下、Wikipedia [3]より引用します。

学校群制度(がっこうぐんせいど)とは入試実施方法の一つであり、複数の学校が「群れ」を作ってその中で学力が平均化するように合格者を振り分ける方法である。各自治体の公立高校全日制普通科のみが対象であり、専門学科や国立、私立高校は対象には入らなかった。
特に東京都、千葉県、愛知県、岐阜県、三重県、福井県において高校入試で学校間の格差をなくすために用いられた。

1967年 東龍太郎都知事時代、小尾乕雄(おびとらお)教育長の主導によって都立高校入試に学校群制度が採用されることとなった。詰込教育批判への対応から学力試験の科目数が9科目から3科目へと削減され、9科目の内申と学力試験とを実質的に同等に評価することとなった。1966年4月に構想を公表、7月に導入を正式決定、1967年2月に同制度による第1回入試と、構想の公表から実施まで1年足らずであった。学校群制度は美濃部亮吉都知事時代にそのまま引き継がれ、鈴木俊一都知事時代の1981年まで存続した。

都立の特権進学校をなくし八ヶ岳的に進学実績がなだらかになることを狙ったものと云われているが、国立や私立高校、ひいては私立中学へ受験生が流出し都立高校の進学実績が全般的に低下することになった。また、これ以降、15歳どころか12歳の春を泣かせることになり受験低年齢化に拍車をかけた、あるいは当初の八ヶ岳的な多様性を狙いとするのなら国私立も含めた大枠からの施行であるべきところ、単に国私立の特権校をつくりだしただけだ、などとの批判も根強く、学校群施行前から指摘されてもいた。つまり社会科学的見地からも選択肢の多い東京など大都市圏では特にその実効性を上げ難いことが云われていた。内申点の重点化は、中学生の部活動加入を高め、また偏差値による輪切りが見られるようになるなど、戦後民主主義の思想的潮流と同時に当時の管理教育の時代背景があることも見逃せない。

学校群編成にあたり、旧制中学系と旧制高女系の一流校は基本的に同一の群とされ、名門校の温存が図られた。その結果、学校群内の学力は均質化されたものの、今度は学校群間に格差が発生した。また、もともと校風の全く異なる学校同士を組み合わせたため、本来の志望校以外に振り分けられた場合の違和感は大きく、多くの都立棄権者を出すことになった。

この学校群制度によって何が実現されたかを整理すると
①受験の低年齢化
②私立中学・高校の興隆
ということになると思います。元々過熱する受験戦争を緩和し、学校間の格差を無くすという民主主義的思想から生み出された制度と言われていますが、結果はますます受験戦争を過熱させ、小学校から塾に通わせて中高一貫教育の私立学校に入れられるような、裕福な家庭の子供しか有名大学に行けなくなるという格差を生み出しただけの制度であったと言えます。

民主主義どころか私権制度そのもの!

学校群制度成立の背景には、日本社会党、日本共産党、日教組による平等教育の訴えや、朝日・毎日・読売の大新聞が東京都の一教育長を祭上げたとも言われているようですが、いずれにしても平等や民主主義といったものが欺瞞以外の何ものでもないということを物語っていると思います。

ちなみに、学校群制度はこの公立高校の凋落を受けて1994年には廃止され、石原都知事の教育改革もあって日比谷高校などの都立高校は近年復活の兆しが見られるといいます。東大の合格者数だけで教育の良し悪しを判断するものではありませんが、受験の低年齢化を含め、子供の教育費用の高騰は大きな負の遺産となりました。

これから私たちは、その必要性について真っ当な判断をしていかなければいけないのではないでしょうか。


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[2] 社会実情データ図録: http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3860.html

[3] Wikipedia: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%BE%A4%E5%88%B6%E5%BA%A6

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