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明治時代の学校に見る日本人の気骨~教育改革のヒント

いきなりですが、明治時代といえば、黒船の来航以来、海外の列強に怯え、この圧力の下、富国強兵が叫ばれた時代です。

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この写真、ブログ「質素な写真展示室」 [1]さんから引用させていただいた黒船 [2]です。
この方の写真、スッゲー綺麗です。

・・・・話を戻して
こんな時代背景の中、学制が制定され、富国強兵の一環として教育制度も整備されていきます。

こんな時代の学校ってどんなだったんだろう?
今回は、歴史をちょっと勉強してみま~す。

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では、続きをどうぞ~

昔の学校って、ジンジョウ・・・・、コウトウ・・・・etcとかくわかりにくい。
ここをとても解かりやすい説明してくれているHPを見つけたので紹介します。
福岡博物館HP>「学校」(太田暁子) [3]からの引用です

 明治政府は、欧米の先進技術を学ぶための高等教育機関の整備を急ぎながら、初等教育を全国民に受けさせることも急務としていたのです。
 学校制度は、何度も改変がくり返されています。例えば、明治前半の小学校の編成だけとっても、明治5(1872)年の学制では下等4年と上等4年、明治13年の改正教育令のもとでは初等科3年・中等科3年・高等科2年、明治19年の小学校令では尋常(じんじょう)小学校4年・高等小学校4年というふうに、めまぐるしくかわっています。

国民の経済事情等に合わせて組み替えながら、国民の教育レベルを引き上げようとした様子が伺われます。
「国力=戦力=人材」との強い意志を感じます。
なかな実直な行政手法!! (今の政府とは大違い???)

富国強兵政策の下、真っ先に手をつけたのは、当然!!
「欧米の先進技術を学ぶための高等教育機関の整備」
こんな中、日本初の修学旅行も実施されています。

 日本の修学旅行がいつから始まったかというと歴史は古く、なんと明治19年(1886)。東京師範学校(現在の筑波大)が初めて千葉の房総半島に11日間の「長途遠足」をしたことに始まるといわれている。「長途遠足」とはいいつつも、実態は「行軍」、いわゆる軍事教練で体験学習は発火演習というもの。何とも時代を感じさせる話である。

~引用>Excite Bit 「明治時代、修学旅行で「行商」した学校がある」 [4]

師範学校って事は教員を目指している学生達なわけで、彼らが「行軍」「発火演習」
これって、結構エグい修学旅行じゃありませんか?

あなたは、こんな教師だったら、安心して子供を預けられる???

それはさておき、少なくともイジメなんかありえないと思うのは私だけでしょうか?

ここまで見てくると、明治時代はなんとも課題直結した教育であったことが実感できます。
ましてや、富国強兵ってヤツは、明らかに社会課題。

もう一つ修学旅行ネタです

 今では海外への修学旅行は珍しいものではなくなったが、明治の時代にも海外に出かけていた学校があったのだ。それも商業実習のための「行商」旅行というからおもしろい。・・・・「行商」旅行を実施していたのは福岡市商業学校(現在の福翔高校)で明治35年(1902)、夏休みを利用して海を渡り、韓国まで出かけていた。
「福商100年史」によると、生徒たちは博多港から出発し、船で釜山に上陸、その後ピョンヤンやソウルにまで足を伸ばしている。彼らは「商」の字の制帽をかぶり博多織や財布、筆、墨、歯磨きなど小間物を持ってチームを組み、約1ヶ月各地を売り歩いたらしい。行商先は主に日本人居留地だったということもあるが、小学校の職員室に飛び込んで商品を陳列して大量に売りさばいたり、宿屋の広間で店を開いたり、なかなか気合の入った行商ぶり。

~引用>Excite Bit 「明治時代、修学旅行で「行商」した学校がある」 [4]

こちらもなかなかの兵(ツワモノ)。

江戸から明治へ時代が大きく動いた時、海外からの圧力に対応すべく適応してきた日本人の気骨を感じました。
それと比べたら、現在の教育は???大いなる疑問を抱いてしまいます。

案外、教育の見直しは、こんなところにヒントがある。
歴史に学べってやつでしょうか?・・・・

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