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江戸時代の教育事情~戦前まで残っていた若者組

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江戸時代における庶民の子供たちの教育といえば「寺子屋」ですが、ここでは「読み書きそろばん」と呼ばれる読書・習字・算数の基礎的な知識の習得に加えて、実生活に必要な知識・技能の教育が行われていました。この寺子屋教育により、日本の識字率ははるかに上昇したといいます。

この時代には、寺子屋という知識や技能の教育機関の他に、社会的な教育機能として「若者組」という集団があったそうです。今日はその一部を紹介してみたいと思います。

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以下は「生涯学習e事典」 [2]からの引用です。

 若者組は、「若衆連」「若者組」などとよばれ、その起源は中世末期であるといわれている。若者組は村ごとに、あるいは村の小地域ごとに組織され、若者は地域共同体の行事等の集団生活を通して村民としての訓練をうけた。若者宿は、礼儀作法、村のしきたり、農・魚業等の知識・技術、手習い等を学習する場所であった。この若者の組織、守るべき事項等を規定したものが“若者条目”である。その内容は、目上の人に対する礼儀、風習の改善、賭博・飲酒・口論などの禁止、村是を守ることである。もし、この条目の事項を破った場合には、制裁がなされた。これらが、地域共同体の成員としての人間形成に大きな役割を果たしていたのである。                                                                     なお、若者組のうちで、武士階級に関するものとして、郷中の制(鹿児島)、什人組(会津)などは有名である。この若者組は、明治以降に青年会、青年団として発展した。

15歳になった村の男の子は全員が若者組に加入し、若衆宿とよばれる集落の寄宿舎で共同生活を始めます。ここでは、このような村の成員となるための教育訓練だけでなく、様々な集落行事や祭祀の運営、夜警、消防、災害、救助などの自治互助組織として機能し、さらには村の恋愛、性、結婚もこの若者組が管理していたという側面も持っていたそうです。

このように江戸時代の教育とは、地域社会の生産活動(生活)に根ざした人格教育が共同体の中に組織化され、またその生産活動に必要な基礎知識を習得するための場として、寺子屋が普及し教育機関として機能してきたのだといえます。現在の知識をただ詰め込むだけの教育とは全く違っていることがよくわかりますね。

面白いと思ったのは、(少なくとも男子は)この教育の場に

家庭や親は全く関与していない

ということです。それは、ここで行われている教育が

村のみんな(社会)の生活のためにある

ということが明確だったからだと思います。それが家や個人のためでもあったわけです。

地域共同体が解体されてしまった現代は、教育が社会のためではなく個人の私益追求のためのものに変わり、生産活動と全く切り離された家庭の密室化と私権の衰弱によって、現在は教育そのものが全く機能しなくなってしまったといえます。

教育改革が叫ばれていますが、真っ当な教育を再生するには、生産活動(社会)につなぐ仕組みをいかに創っていくかということと、家庭から教育を切り離すことを考えていく必要があると思います。

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