- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

幼児教育への「洗脳?」「拷問?」という疑問

幼児教育のエントリー [1]を読んでいて「そもそも教育ってなんだ?」と疑問に感じた。

例えば下のイラスト [2]は、左が英才教育を受けている子供で右が受けていない子供と言うイラストです。

neta57-2.gifneta57.gif

素朴な疑問が湧いてきたので少し調べてみました。
辞書で調べてみると・・・・

「他人に対して,意図的な働きかけを行うことによって,その人間を望ましい方向へ変化させること。」(新辞林より)

いつもの様に、初めての方も応援お願いします。

ありがとうございます。元気が出ます。

ちょっと怖い言い回しでは有りませんか?
「人を変化させること」・・・・何故「育てること」と書かないのか?
しかも「望ましい方向」とは?誰にとって望ましい?

もちっと調べてみると・・・・

ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「―を受ける」「新入社員を―する」「英才―」(大辞泉)

またまた変化させてしまうのか?

「あわれみ育てること。」(大辞林)

ココにいたっては、「あわれみ」がくっつくのは何で?

ちょっと、待てよ。あながちおかしくもないかな?

幼児教育って、英語やフランス語を訳もわからないうちに無理やり(実際は嫌がっていないかもしれないが)聞かせる、DVDを半強制的に見せておくんでしょ?
「臨界期に育脳」 [1]しているわけで、脳の変化を意図した働き掛け=これって立派な洗脳じゃなかろうか?
辞書の言い回しは合ってるってこと?

ここまで考えて、チト恐ろしくなってきた。

ところで教育は何時から始まった?
と調べていくと・・・・

日本での、制度上の教育の始まりは大宝律令(701年)にまで遡る。
大学寮と呼ばれる官僚養成所として儒学や算術、書道などを教えていた。もっとも官僚は当時の豪族、貴族など支配階級にしか道は開かれていなかったわけで、庶民にはまるで関係のない世界であった。

このときの庶民は?っていうと村落共同体で集団生活。読み書きはしていたのかどうか?
主には口伝継承の世界であった。
これは教育とは呼ばないのでしょう。村のおきてや言い伝えを「生きる為に」伝えていく。大人は子供達を次代の担い手として育て(=期待)ているでしかなかったことは想像に易い。
この中では、子供達は大人の真似をしてなんでもやってみたかったろうし、やってみて上手く行けば大人たちも喜んでくれる。こんな風にして育って言ったのでしょう。

この現象は、今の子供達も何も変わっていない。(「子供達は」と言った方が正確かもしれない。)
例えば友人Y氏のご子息は、父親譲りに虫が好きらしい。昆虫図鑑を丹念に眺めるのが日課。彼は、ひとしきり図鑑研究をした後には、お気に入りの虫を絵に描く。これを母親や兄弟に見せて「上手だねー」と誉めてもらう事が、とっても嬉しい。
彼の「虫研究」の活力源はココに有り。

そう、子供達は今も昔も変わっていない。期待されて、喜んでもらうことをひたすら求めている。
にもかかわらず、幼児教育のDVD教材などは、見せられている間中、ひたすら一方的で、反応さえも貰えない。
最近テレビがつまらないどころか、見ていて苦痛になると言う方が増えていることから、(ましてや意味のわからない幼児にとって)苦痛以外のなにものでもない?
「洗脳的な教育」を越えて「拷問」になっていないか?今一度子供の反応を良く見てみることをお勧めしたい。

せめて、一緒に見て常に反応を、与えて続けてやらなければ危険なのではないか?
口伝継承系の幼児教育などあれば、子供達は救われるのでしょうか?

[3] [4] [5]