| メイン |

2007年08月13日

学校ってどうなってるの?17(私学ってどうなの?)

学校ってどうなってるの?17(私学ってどうなの?)

%E9%83%A8%E6%B4%BB%E3%82%82%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%82%82.jpg

一般に公立側からすると私学は指導要領や教育委員会にしばられないから自由に対応できるといわれている。それはいいわけでしかないのでは・・・・・
私学は評判やイメージや学業成果は経営問題に直結している。
柔道や剣道の全員黒帯取得を目標にしている学校(巣鴨中)もあれば、和室を充実して躾を重視している学校もある。さらに当たり前のこととして制服にも気を使っている。
東京女子校制服図鑑というのがでているぐらいである。

私権闘争⇒評価競争圧力⇒社会の期待を掴む?
私学は生徒の期待・親の期待・ひいては社会の期待をつかまないとやっていけない。
結局公立と私学の違いは、学校が生徒にどれだけ向かっているかの違いだけなのでは。

続きに進む前にクリックを!

こんな声があります。『指導要領、私学しばらぬ』 東京私立中学高等学校協会長に聞く
続く

 にほんブログ村 子育てブログへ

指導要領、私学しばらぬ 東京私立中学高等学校協会長に聞くhttp://www.asahi.com/special/061027/TKY200612040133.html

授業の自主性、法に根拠――学習指導要領は厳格に守るべきですか。

私立は公立とは違う。長い歴史の中で自分たちの教育観を持ち、建学の精神をもって教育している。私立が学習指導要領通りにやらなければいけないなら、存在意義はない。
学校教育法14条は、学校の授業や設備などで法令違反があった場合、都道府県教育委員会もしくは知事が変更を命じることができると定めている。ただ、私立については私立学校法5条で適用除外となっている。授業の根幹がカリキュラム。私立の自主性・独自性がここで法的にも守られている。

――高校の授業が受験対策中心になっているという批判があります。特に私立がそうだと。

受験を否定しても意味がない。多くの子どもたちは、一つの短期的・中期的な目標があるから勉強する。試験のための勉強ではないと言ったところで、それは理想論。今の受験制度のもとで、理想論を押しつけるのは受験生に対して失礼だ。受験勉強を否定して、その結果大学に受からなかったら、だれが責任を負うのか。
 受験勉強したい人にはさせればいい。多くの私学は受験勉強だけを中心にすえているわけではない。建学の精神を大切にしながら、子どもたちの希望をかなえるために、発達段階にあわせて教育している。
――私立の独自性と高校生として学ぶべき標準とのバランスをどうとっていきますか。
 日本中の私立学校で、学習指導要領をまったく無視している学校は本当に少ないと思う。ほとんどの学校は指導要領の規定を自分の学校に当てはめてみて、時代の変化や子どもの発達段階にどうしても当てはまらない場合に、現場でアレンジしている。現場に柔軟性を幅広く持たせることが子どもたちを伸ばすことになる。

――公立はどうでしょう。私立とは事情が異なるんでしょうか。
 公立の経営者は教育委員会だ。教育委員会が、指導要領を守るべきだとの立場から学校現場での履修漏れを知らなかったというなら、その学校が教委の業務命令に違反したことになる。私立の場合は理事会が経営者だが、カリキュラムについて知らないなんてことはありえない。

結局公立でも私学でできることはその気になればできることなのではないでしょうか。

投稿者 tennsi21 : 2007年08月13日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2007/08/312.html/trackback

トラックバック(1)

ジェイおじちゃんの教育ブログ
新着記事のお知らせ【ジェイおじちゃんの教育ブログ】 読者の皆さん、お久しぶりです。 ジェイおじちゃんの教育ブログ 管理人 j-ojichan(子供ぽるた)(教育ブログ)です。 今回は新着記事の... ...[続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年8月19日

コメント

> 結局公立でも私学でできることはその気になればできることなのではないでしょうか。

できないと思います。。。
 
「私立」と「公立」は、存在基盤(建学=学校創立の精神)に大きな違いがあります。
 
私立学校の「建学の精神」には、必ずと言ってよいほど、宗教的基盤があります。つまり、私学は「宗教発」です。
一方、現代の公立は、“近代思想”に基づく教育基本法に従っているという意味では、宗教となんら変わりはありませんが、あくまでも「国家発」です。
 
つまり、私立学校の外圧は、主に「宗教間の同類圧力」ですが、公立学校の外圧は、主に「国家間の同類圧力」です。
 
私立学校にとって、国家発の学習指導要領と整合性を保つことは、最低条件でしかなく、常にその先に目標を見据えています。しかし、公立学校には、その先の目標なんてありません。つまり、捉える外圧構造の違いが、活力の違いとして表れており、私学の方が外圧が高く&複雑であるため、活力が高くなっているのだと考えられます。

では、公立の活力上昇のためには、何が必要か・・・「国家間の同類圧力」という視点から考えてみると、面白いと思いました。

投稿者 ふくしょー : 2007年8月14日 12:46

>私立学校の「建学の精神」には、必ずと言ってよいほど、宗教的基盤があります。つまり、私学は「宗教発」です。
一方、現代の公立は、“近代思想”に基づく教育基本法に従っているという意味では、宗教となんら変わりはありませんが、あくまでも「国家発」です。

>では、公立の活力上昇のためには、何が必要か・・・「国家間の同類圧力」という視点から考えてみると、面白いと思いました。

ふくしょーさんのコメント、面白いですね。いま、教育改革で、私学にちかい権限を公立に・・という風潮がなんとなく感じられますが、私学のように公立の学校運営が成立するとは、私も思いません。

公立学校の活力源【国家間の同類圧力】と【学校】の関係は、確かに分析する必要がありそうですね。

投稿者 こん : 2007年8月17日 10:59

>つまり、私学は「宗教発」です。

「宗教発」?福沢諭吉や大隈重信も「宗教」ですか?

投稿者 さいゆー : 2007年8月23日 22:22

コメントしてください