親の子供に対する「虐待」のほとんどは密室家庭の中で行われるために、家庭の外からはその実態を把握することが困難だと言われています。また、親が虐待するのは決して他人の子供ではなく自分の子供ですよね。
自分がお腹を痛めて産んだ子供を何故虐待できるのでしょうか?
続きの前に、いつものお願い!
普通の親(大人)であれば、子供に対する虐待行為そのものが悪いということは当然理解できると思います。だから、いくら他人の子供が悪さをしたとしても虐待に至るような意識になることはないと思います。逆に自分の子供のように叱ることも躊躇するほどではないでしょうか。
じゃあ自分の子供は?
もちろん自分の子供に対しても、冷静に考えれば(考えなくても)虐待はよくないと思っているはずです。それなのに自分の子供には虐待してしまう。。。
「自分の子供は自分のもの」
そんなの当たり前だと言われるかもしれませんが、そこにこそ問題が潜んでいるのだと思います。
自分の子供は自分で育てるのが当たり前だと思っていませんか?だからつまづいても相談できる相手はいないと思い込んでしまうし、不安も大きくなるのでしょう。家庭には夫々事情があるから他人の子供(子育て)には干渉しちゃいけないと思っていませんか?それは自分の子供に対して他人に干渉してほしくないと思っているからです。
これが家庭を周り(社会)からの圧力を排除した聖域にさせ、その中で子供を囲い込んでいる実態です。社会の圧力を遮断した中で行う子育てはどうなるかといえば、親の意識だけに頼るしかありません。悪く言えば親の好き勝手で子育てできるともいえます。「虐待」とはそんな空間だからこそ生まれる問題なのです。
>子供は生まれた瞬間から、社会の一員だと思う発想が大事なのではないかと思います。社会の中にいる、みんなの中にいる、自分ひとりではない。だから「自分のもの」などというものは、本来はないはずだと思います。(るいネット [2]より)
「子供は社会のみんなのもの」
子育ての役割は、子供を社会に送り出すためにあるという意識の転換が必要なのだと思います。