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学校ってどうなってるの?13~今、学校で何が起きているのか3「校長という種族」~◆実は“営業所長代理”のサラリーマン◆

日経BPネットの教育界に転身し民間人校長となった杉並区和田中学校の校長である藤原和博氏の記事から転載します。2006年の記事です。

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日経BP記事
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」1 [1]
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」2 [2]
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」3 [3]
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」4 [4]

★校長という種族とは?★

1】校長は?
・校長は藤原氏曰く、「教育委員会と、生徒の目の前で授業を行う教員との橋渡し役」という。また、学校業務のマネジメント能力が必要で、会社を経営するのと同じである。サラリーマンと同じである。
・生徒に及ぼす影響では、最後まで教員で通すプロ教師にはかなわない。生徒が大人になって結婚式に招くのは、校長ではなくて、「担任してくれた先生」・・・担任になれない校長

2】教頭は?
・膨大な文書処理業務にはまり、教頭と指導主事が“死んで”いる。らしい。

3】で、この文章主義をどうする?
・真に子ども達のための仕事に集中させるには、文科省や上位の教育委員会が作成し学校現場に回答を迫る膨大な文書をバッサリ切る以外ない。

と説く。

※上記記事の詳細は、続きで記載してあります。

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日経BP記事
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」1 [1]
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」2 [2]
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」3 [3]
今、学校で何が起きているのか「校長という種族」4 [4]

より

 今回は、教育委員会と、生徒の目の前で授業を行う教員との橋渡し役ともいえる「校長」について解説する。

 校長は、多くの人がイメージするような権威ある(偉そうな)仕事ではない。

 全国の小中学校や高校に3万数千人配された校長は、トヨタやNTTドコモのような会社組織で言えば、営業所の所長。しかも実際には人事権と予算権がほとんどないから、営業所長代理程度の役割なのである。

◆200人の生徒で2億円の運営費
 簡単に言って、小中学校の生徒1人にかかる公教育費は100万円だ。したがって、200人の生徒を預かる中学校の場合、年間での運営費総額は約2億円ということになる。そのうちの7割がたが教員の人件費である。和田中は現在300名の規模だが、200名程度だったときの経費の内訳が記録に残っているので紹介しよう。

 人件費は校長の給料や講師への支払いも含め25人分の総額で1億7000万円ほど。委託料として給食調理で1600万円、施設管理で200万円。役務費として便所清掃に30万円、プールに5万円、クリーニング代に20万円。コピー用紙や教具などの消耗品費が850万円。ガス代150万円、水道代470万円、電気代300万円などであった。合計で、2億620万円。電話代は区でまとめているので判明せず。

 したがって校長は、経済主体としては、2?3億円の経費がかかる営業所を預かる営業所長代理なのである。

 校長問題の本質に迫る前に、まず、教育委員会と学校をつなぐ役割としてより重要な教頭(東京都では副校長、以下教頭)と指導主事が機能不全を起こしている事実について触れる。教育界の悪弊が、人材をみすみす殺していることを見過ごしにはできないからだ。

◆文書に殺される教頭と指導主事
 教頭と指導主事が“死んで”いる。教員として優秀だった人が、教頭や指導主事に昇格したとたん、膨大な文書処理業務にはまるのである。

 教頭という仕事を3年以上すると、疲れ切って人柄が変わってしまうという。もともとは優秀な教員だったはずの人が、だ。

 教育改革という名の下に日々量産される文書の山。文部科学省から来る、都道府県の教育委員会から来る、市区町村の教育委員会からも来る。給食の食材について、プールの安全確認について、性教育について、イジメについて、国旗国歌について、学力調査について・・・。答えなければならない調査類だけでも、小学校で年間に400本、中学校で200本ともいわれる。

 本当は改革に入る前に、ビジネス・プロセス・リストラクチャリング(BPR)が必要だったのだ。いらない仕事を割り出して排除し、全国一斉に文書を10分の1にする。そして、「子どもの学びの質を向上させること以外の仕事を仕事とは言わない」方針で仕事のリストラを先行させるべきだった。ところが、いらない仕事を大幅に削減することなく、改革による追加仕事を引き受けてしまった。

 だから、その文書の作り手である教頭と、それを都道府県教委や文科省に渡す代理店でもある指導主事が、文書業務に忙殺されることになってしまった。

 本来、教頭は軍曹として授業を観察し教員を指導しなければならない立場にあるのに、授業を観察する暇もない教頭が増えた。学校を足しげく訪問し、よき実践を他校に普及させるべく指導助言する役割の指導主事も、現場を巡ることができない。

 この人たちを解放して、真に子ども達のための仕事に集中させるには、文科省や上位の教育委員会が作成し学校現場に回答を迫る膨大な文書をバッサリ切る以外ない。その大半が国民や住民、そしてそれらを代表する議員の質問に答え、責任を逃れるための、文科省あるいは教育委員会の上部官僚の「免責文書」なのだから。

◆学校の校務分掌
 校長に話を戻す。校長が統括する学校業務にはどのようなものがあるか。職員室の組織と先生達の役割分担を具体的に述べることで説明に替えよう。

 たいていの学校の先生は、授業や担任、部活の顧問の他に「教務部」と「生活指導部」、それに「進路指導部」とか「研修部」とか「研究部」と名のついたチームに分かれ仕事をする。この役割分担のことを学校用語で「校務分掌」という。

 教務部は教務主任が、生活指導部は生活指導主任が、進路指導部は進路指導主任が仕事をまとめる。主任にはこの他に養護教諭がなる保健主任と、各学年のまとめ役である学年主任がいて、週に1度、主任格の運営会議を職員会議に先行してもつことが多い。校長はこうした会議の運営を通じて意思決定し学校を運営するのだ。

 では、教務部の分掌にはどんなものがあるか。最も大事なのは教育課程の編成である。年間のカリキュラムの決定だ。生徒や保護者にも分かるように視覚化してシラバスを作ることも多い。時間割の編成、月次と年間の予定表管理、時間数のカウントがこれに加わる。

 教育実習の受け入れ、定期テストの実施、通知表や成績一覧表の作成、転出入やそれに伴う教科書事務、保護者会や説明会の運営、選択教科の編成、総合的な学習の計画と実施、道徳の指導計画と地区公開講座、パソコン室や職員室のIT管理、視聴覚室や放送室の管理、進路指導全般など、数え挙げればきりがない。チャイムを正しくセットするのも教務の仕事だ。

 生活指導部はどうか。学校における生活習慣全体の指導が主な職務。災害時の避難訓練計画、環境整備、給食指導、カウンセラーと連絡を取りながらの教育相談、健康管理計画、生徒会の運営サポート、部活動の全体計画、生徒手帳の発行、机やロッカー、傘立ての営繕、暖房や照明設備の点検整備などが加わる。落とし物の管理も仕事のうちだ。

 そのほかに、生徒による学級委員会、環境美化委員会、図書委員会、衛生委員会など各種委員会の運営指導。運動会を運営する体育的行事委員会、学芸会のような文化イベントを運営する学芸的行事委員会、入学式や卒業式のような儀式的行事を運営する委員会をつくって、季節ごとのイベントを主催する。これらを統括することに加えて、人事と予算について教育委員会と相談しながら差配していくのが校長の仕事である。

 なお、校長は、学校外においては地域社会とのパイプ役を務めるほか、都道府県や市区町村の教育委員会が組織する数々の委員会や審議会の委員を引き受ける。「子どもの読書活動振興委員会」「学校IT化のための委員会」「ISO環境保護委員会」「学力向上委員会」「特別支援教育推進委員会」など、ふつう一自治体でも数十はあり、一人の校長が5?6つの委員を兼任することになる。

◆具申権はあっても、人事権を持たない校長
 ただし、校長には人事権はない。教員の任免権は、都道府県の教育長の権限に属するからだ。

 それでも東京都の教育委員会は校長に権限を下ろすことに努力し、人事権ではないが、人事の「具申権」は相当に強まった。いまでは、本人の意向にかかわらず、配属から3年以内でもダメ教師を追い出すことが可能になったし、6年以上経っていても学校の事情によって異動を留保することができるようになった。ただし、相変わらず採用する権限もクビにする権限もないから、だましだましの人事であることに変わりはない。

 たとえば、イジメ問題が頻発するような学校なら、カウンセラーを常駐させることに投資したいかもしれない。たいていは週に1回、1日程度のカウンセラー(時給5000円程度)配置しか認められないから、毎日はしょせん無理な話だ。あるいは荒れた学校のケースで、年収800万円台の疲れた中年教師ではなく、400万円台のピチピチの体育系男女教師2人を配置して生活指導に活を入れようとしても、それはかなわない。機動的な人事配置は校長の権限ではできないからだ。

◆校長は「上がり」の仕事か
 こうした中途半端な権限しかない校長だが、新米教師として初任地に赴任し「先生」と呼ばれるようになってから20年から30年。一通り主任を経験して教頭となり、その後校長任用試験を受けて、学校という世界ではいちばん偉い地位に就く。多くの校長はそれを「上がり」の立場として安住する。だから保守的になり、新しいことにチャレンジする気持ちが失せる。

 教頭在職中は校長に仕えて死ぬほど事務仕事をこなすから、校長になったとたんに「お山の大将」気分になるのも無理からぬところだ。しかし、実際にはマネジメントの「マ」の字も知らないで校長職に乗っかっちゃっている諸氏も少なからずいる。ただの事務長のままなのである。

 唯一の上司である教育長には、忘年会の席などで、酒を注いでなんとか機嫌を取ろうと校長先生の長蛇の列ができる。サラリーマンとかわらない。

 外の世界をほとんど知らないから、校長は校長同士で傷をなめあい、校長サークルの中で人生を営んでゆく。60歳で校長を辞めても、嘱託で教育研修所長とか教育相談担当の参与になりたいので、教育委員会には相変わらず頭が上がらない。その後も校長仲間とだけゴルフをし、旅行会や山登り会に参加する。

 でも、生徒に及ぼす影響では、最後まで教員で通すプロ教師にはかなわない。生徒が大人になって結婚式に招くのは、校長ではなくて、「担任してくれた先生」だからだ。

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