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指導の手段を失う教育現場

「先生も生徒も平等だろう」

荒廃した教育現場をリポートした『公立炎上』(光文社ペーパーバックス)の著者で、現役高校教諭の上田小次郎さんは数年前、たばこを吸っていた生徒に注意した学年主任が、そう反論されたことが印象に残っているという。言うまでもなく未成年には許されないこと。だが、納得できる説明を求める生徒側と問答が続いた。

「注意されてもなかなか自分の非を認めずに『指導法が悪いから』『そんなに怒らなくても』と反論してくる。教師の、大人の権威は薄らぎ、生徒たちの平等意識は強くなっています」と上田さん。反論の余地を与えないために、現場の教師は生徒を叱(しか)る際、これまで以上に気を使う。女性教師は、髪の色や化粧もできるだけ地味にするよう神経を磨(す)り減らすという。

小学校の現場からも、類する声が漏れ聞こえてくる。

目の前で教師が率先して掃除を始めると、以前なら「先生がやっているからやらなきゃ」という子供が大半だったが、最近は「先生がやっているからいいや」と傍観する(神奈川、高学年)▽授業中に教室を離れようとしたので注意すると、「先生だってやっているじゃないか」といわれた(東京、高学年)…。

「『大人がやってもいいことは子供もやっていい』…そんな意識の子供が多く、『大人には許されても、子供はまだダメ』というかつての論理は通用しにくくなった。子供たちが対等な意識で接してくるとは思っていないベテラン教師ほど、その戸惑いは大きい」

東京都内の元公立小学校長はそう打ち明ける。

(中略)

だが、教員側の問題点を指摘する声も少なくない。40年以上の小学校教員経験を持つ川嶋優・学習院名誉教授は毎年夏、新任の小学校教諭を集めた研修会で講師を務めている。40人ほどの参加者のうち毎回4、5人ほどが「学級崩壊寸前です」とSOSを発するという。まだ1学期が終わったばかり。「なぜか」と思い教育方針を尋ねると、判で押したように「子供を信じ、友達のように仲良くしたい」「一人一人の個性、自主性を尊重したい」といった答えが返ってくるという。

川嶋名誉教授は戦後の教育現場で進められた「行きすぎた平等主義」の弊害を痛感している。

「『指導』を『支援』と言い換えたり、教壇も取っ払ったりして、教育やしつけに欠かせない上下関係を自ら放棄してしまった。ルールを教えることは軽んじられ、個性や自主性ばかり重視される。今、困ったときに子供がすがれるような頼りがいのある先生や大人が、果たしてどれだけいるのでしょうか」

溶けゆく日本人「指導の手段を失う教育現場」より引用 [1]

平等主義が問題、確かにそうでしょう。 ここが問題と認識されるようになったのは大きな前進ですが、しかし、規範意識の問題、観念の問題として捉えていたのでは何も解決しない。 🙁 「平等主義はだめ、頼りがいのある先生にになろう!」と叫んでも空回りするばかりだろう。学校、社会を取り巻く環境(外圧状況)を捉えて、学校で何を勉強するのかを考え実現していく事が、一番重要で唯一の課題。 🙂 そして、そのためには学校に限らず、社会全体(の閉塞状況)についての構造認識が不可欠だと思う。

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