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仲間関係って何?(4)

~子ども達はどこ見てる?~

現在の子ども達にとって、「仲間」という存在は何者にも変えがたい大切な存在

しかし、仲間だけを見ていれば良い、という訳ではなく、やはりその先に何か 🙄 を見出さない事には、先には進めない。

いったい、今の子ども達はどこへ向かおうとしているのか?

ヒントは↓の画像!

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「nikkeiBPnet」コラム [2]によると、携帯の保有率は現在

小学校高学年では、約13%の保有率が、中学生では約50%、高校生では90%と伸びていくデータ(金融広報中央委員会「子どものくらしとお金に関する調査(平成17年度)」)

がある。

毎日学校で顔を合せる仲間達と、いつでも連絡が取れる。その為だけに、90%を超える保有率になるとは考え難い。
もちろん、仲間同士の連絡ツールとしても大活躍しているだろうが、携帯の最大の魅力はやはりコンテンツにあるのではないかと思われる。

ゲーム・音楽・掲示板・SNSなど、それら主要目的は現在的には「遊び」的要素が中心であり、その先に大きな目的意識が働いているとは言い難い。だが、少なくとも「学校」「家庭」「仲間」といった枠組みを、簡単に超えられるものがそこにはある

ただ、現状はそこまで。そして、現在の大人達はそれら子ども達の意識潮流を、残念ながら商材 としか捉えられていない
だからこそ、子ども達を巻き込むワンクリック詐欺や、悪徳サイト、迷惑メール等が横行してしまうのだろう。

これは、現代の大人達が正しく子ども達を社会へ導く事が出来ていない、と言い換える事も出来る。

また、その様な子ども達を取り巻く環境に対して、子どもを守るといった視点ももちろん大切ではあるが、現在の親の意識は、あまりにも「我が子」のみに執着しすぎてしまっている傾向が強い。それも、父・母揃って。 🙁

最近では、やたらと塾の説明会に熱心な父親が多いとか、高校生になっても子どもの受講講座を全て親が決めなければならない、などといった、親子べったり現象を至る所で耳にする。定年退職を前に、家庭(子育て)に役割を求め会社を辞める父親までもが登場!

この状況をどう読み解くか?

現在は、子どもの意識と大人の意識は完全に分断している。

子ども=>携帯・ネット=>混迷した社会(無秩序かつ統合軸不在)

  ×(子どもの意識は分断)    

子ども<=(導けない)大人=>自分

といった感じで、大人は自分か子どもしか見て居ない為に、子ども達にとっての同化対象は不在となり、その探索経路を別の媒体に求める、といった傾向になっているのではないだろうか。

しかし、上記に示した様に、携帯もネットもコンテンツも、大人達の用意した商材レベルに留まっており、ネット上に飛び出して行く子ども達は、単なる消費者になってお終い。これでは、何の活力も生み出さないし、社会の役に立つ認識を獲得する事も出来ない。もちろん、子ども達の勉強意欲が高まる、なんて事には到底なり得ない。

では、改めて子ども達を導く大人の役割とは何か?

子ども⇒大人⇒社会

という、極めて簡単な図式で、それは表せる。

子どもは、まず大人(最も身近な親や先生等)に注目する。

その大人は、社会に収束し、社会的役割を担う中で、闘争と充足の体験を積み重ねている。

その活力溢れる大人達 の姿に子ども達は憧れ を抱き、自らも早く一人前になりたい、といった同化回路が自然と働いて行く。

この様な意識が形成されれば、例え半人前であっても、子ども達に社会的役割を与え、共に社会を形成していく協働者として歩んで行く事は可能である。

目下山積みである社会問題を「共通課題」とし、その課題に対して共に考え、発信する『役割』を分担する。

そして、その役割に対して、みんなで評価を与えて行く。

再度整理すると、

社会を取り巻く外圧
    ∥
    ∨
みんな期待に転換=>大人達が課題共認
    ∥              ∥
    ∥              ∥=>役割共認=>評価共認 ※共認活力の形成
    ∨              ∥
こども達も社会収束=>活力ある大人に同化収束
となる。

『子ども』という境界を勝手に設けようとしているのは、実は大人達の勝手な発想に過ぎない。また、子どもの為を思うならば、むしろ大人は社会に向かわなければならない。そうする事で、子ども達にも担える課題や役割が発掘され、みんなが一体となって社会、そして共認形成を行える社会が創られるのではないだろうか。

かわいでした。

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