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密室家庭の変遷③ 1970年代「子供の囲い込み」

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‘70年代に入ると、それまでマイホーム主義で大量消費社会を生きてきた「家族」の形が微妙に変わり始める。

日本が経済大国となり、「豊かな社会」が実現されると、消費共同体としての家族は次第に機能しにくくなった。総理府の「国民生活に関する世論調査」によれば、60%の国民が自分を「中の中」の階層だと感じ、「中の上」、「中の下」も合わせると、9割が自分を中流だと思うようになった。
そのことは、物の私有という価値を軸として消費共同体を形成し、一億総中流化を目指していた家族にとって、軸そのものが失われはじめたということを意味する。貧困からの脱出、豊かな生活を目標にする時代は終わった。しかしそうであればこそ、家族が一丸となって働き、勉学にいそしむという図式も崩れ始め、家族の目標喪失状況が生じたのである。
カルチャースタディーズ [2]より引用)

こうして高度成長期に拡大した理想のマイホームのイメージは、しかし1973年の第一次オイルショック以後の社会経済環境の変化のなかで、次第に崩れていく。企業・産業・経済の変化と並行して、家族や学校も大きく動揺した。離婚、家庭内暴力、校内暴力など、それまでの家族や学校の体制が崩れ始めていた。そして家族や学校という集団よりも個人を重視する価値観が台頭していた。
 家族や学校や企業においては、集団よりも個人を重視する価値観の台頭はあまり喜ばしいものではない。しかし消費社会そのものは個人重視の価値観の台頭を歓迎した。主要な耐久消費財の普及率がほぼ100%となった1970年代半ばにおいては、家族を単位 とする消費はもはや力を失いつつあった。そこで注目されたのが、より個人的な消費である。父親の収入で家族のために買う消費ではなく、個人が個人の収入で個人のために買う消費が重要になった。アンノン族もクリスタル族もHanako族も個人が消費の主役となった時代の言葉である。
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社会と隔絶した家族単位の消費に向かい密室化した家庭にとって、共通の目標喪失と個人消費の価値観の台頭が徐々に影響を与え始める。

会社で仕事をしている夫がいない家庭にかかる圧力は衰弱し、妻は悠々自適な主婦生活を謳歌できるようになる。一方で結婚後に家事・子育てを専業としていた主婦にとって、社会からの疎外感を強めていったのもこの頃ではないだろうか。

そんな主婦達が向かった先は「子供の囲い込み」である。自分の子供を過剰に可愛がったり、教育ママなる熱心な教育を行うようになる。しかしこれは子供に対する母親の強い愛情のように見えて、実は母親の価値観の植え付けでしかなく、子供は常に母親の真の愛情欠乏に陥ることになる。

そして無圧力化が進めば進むほど、家庭の密室化はさらに進み、他人に踏み込ませない聖域になっていった。

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