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専業主婦ってなに?

密室家庭といえば、専業主婦。少し大袈裟かもしれませんが、核家族・密室家庭の起源を探る上では切っても切れない関係でしょう。

そこで、今回は専業主婦の歴史をしばし辿ってみました。
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渡部正行=精神科医・札幌 心のぞけば
「勝ち犬の起源」 [2]

 一九四九年(昭和二十四年)の“勝ち犬”、つまり専業主婦の平日の平均家事時間は十時間十六分。そりゃそうだ。子供は三人四人、冷蔵庫なし洗濯機なし掃除機なしガスなし紙オムツなしの時代ですもん。
~中略~
 およそ百年前のわが国では、六割をこえる既婚女性が家事以外の労働に従事していた。まあ、結婚退職も出産退職も近ごろの言葉で、そもそも「家庭にはいる」という発想がなかった時代の話。多くは農漁業などの嫁さん、自営業のおかみさん。家事専念というわけにはいかない。夫婦はそれぞれに忙しく、子育ても自然と“協働”になったはず。

 転換点は第一次大戦後の好況期。無傷の日本では産業の近代化が急速に進み、サラリマーンを大量生産した。やがて夫は企業戦士、妻は家を守り子育てを担当する専業主婦。要するにソトとウチの分業で、勝ち犬の起源もそのあたり。ただ、勝ち犬と呼ばれるほどの余裕はまだまだ。
~中略~
分業システムがこれからも有効とはかぎらない。勝ちも負けも一時の話題。それより、家族のありようはいったいどうなっていくんでしょうね。 (引用終わり)

ここで冒頭に紹介されている、平均家事時間十時間以上の「主婦」さんは、まだまだ専業主婦といえる完全分業とはほど遠い頃のものでしょう。
日本で「専業主婦」が登場し、家庭に篭り始めたのは今からわずか30年程前の出来事。

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立岩 真也
『ちいさいなかま』2001-6(特集:父親),草土文化「いまどきの…、なんて話を信じないこと 」 [3]

 「専業主婦」は、極端に言えば、戦後的な現象なんです。私たちの祖先の多くは農民や漁民だったわけで、みんな総出で働いていました。お店の多くも同じです。力仕事は男で炊事は女とか、分業はあったにせよ、そしてどちらか言えば女性の方が大変だったのだろうと思いますが、男も男で家の仕事はありました。というか、家事という仕事とそれ以外の仕事という区別がはっきりとはなかったのです。
~中略~

■2 できてすぐに壊れ始めた

  だから専業主婦になるというのは、その当初は自慢だったし、またある種の解放だった部分があったのでしょう。自分の母親が朝から晩まで家の内や外で働いていたのに比べたら、「奥さん」です。アメリカ流のホームドラマみたいなものがその宣伝役をつとめたところもあるでしょう。少なくとも一時期、それが魅力であり希望だったことがあったのは事実だったと思うのです。
  ただそうしてしばらくやってみたのだけれども、結果としては、多くの人にとってはそれはそうおもろしくはないということがわかった。
  子育てやらしている間はおもしろくもあるのですが、それはやがては終わります。
~中略~
  そしてこのパターンの親たち、男は高度成長を支えた企業戦士で妻は専業主婦という人たちを、私は田舎の出なので実感できないところもあるのですが、とくに都市部の子どもたちは見てきたわけです。そして、ああいうのはあまりおもしろくないようだ、本人たちもそうおもしろそうではないようだ、自分たちは違うように生きよう、ということになる。
~中略~

■4 もっと単純に考えてみる

  以前は家事・育児をまじめできちんとやっていたが、今どきはそうではないというのですが、機械化などで本来ならずっと減ってよいはずの家事時間があまり減っていないというデータもあります。むかしだったら赤ん坊をたんぼのあぜに置いて仕事したりしていました。それでもまあまあ人は育った。むしろ、主婦というものが誕生してくる過程で、女の「天職」として家事・育児が位置づけられ祭り上げられたのです。「婦人」向けの雑誌が出たり、女子大に家政科(最近は流行らないみたいで、名称が変わったりしていますが)ができたりして、家事・育児は、なんだか気合の入った手間ひまかける技になり、そのこと自体に意味が見出されるようになったのです。冷たく言ってしまえば、やらなくてもよい仕事を家事として作り出してしまったということです。それをまじめに引き受けると、とくに職業をもつ人にとってはえらいことになってしまう。
  そしてこうした妙な気合いの入り方というか、気負い方というかは、お金を稼いでくる方の仕事にも言えることです。というかこちらが先だったのです。仕事する、仕事ができるようになる、それで一家族分を稼ぐことができることに大きな意味が与えられてしまった。それに対応して、家事・育児にもまた、仕事として、なんだか大きな意味が与えられてしまったのだと思います。そこでは、子どももまたある種の作品、生産物として見られることになり、子育ては生産、製作の過程で、親はその生産者として自らを評価してしまう、うまくいかないと暗くなってしまう。

できてすぐに壊れ始めた原因の具体事例として、

主婦たちの憂鬱「台所症候群」 [4]

というのもあるようです。こちらの中身もかなり興味深いので、後日詳細に分析するとして、結局のところ、理想の家庭 、理想の主婦 、という幻想 は極めて短い期間に脆くも崩れ去った 、と見てほぼ間違いないようですね。最近も女性の社会進出は進行中。表面的には「経済的理由」で働く母親が多いようですが、今時本当に生活に苦しんでいる家庭など殆ど無いでしょう。

潜在思念での社会収束、社会との接点を求めて仕事という役割を外に求めている、というのが実態ではないかと思われます。私の周りでも、専業主婦は殆ど居ません。子供が1歳になる頃には、ほぼなんらかの仕事についている女性が殆ど。

都市化・核家族化、というのは市場拡大戦略のもとで作られてきた消費層拡大の仕組みの一貫だった訳ですが、家庭に主婦・子供、といった消費の王様 (特権階級) を作り出す目論見は、見事に崩れ去った と見て良いでしょう。

立岩氏の考察に、「子どももまたある種の作品、生産物として」といった分析が見られますが、社会と切り離された密室空間 において社会的動物を育てる事は非常に困難である、という結論も導き出せそうです。

子供の同化対象 [5]

5歳の娘には、もはや母親は同化対象には物足りないのかもしれない。
そして、外(社会)に同化対象をみつけることは正常なことなのだろう。

母親 も子供 も、育つ為には同化対象(導きの糸)が必要。密室に閉じこもっていたら、同化対象が獲得できない、というごく当たり前の事を、しっかりと認識しておく必要がありそうです。  

かわいでした。

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