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現代的親子関係の歴史はごく浅い

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学校教育に対する批判が高まり、教育の責任を家庭へ持っていこうという動きがみられますが、はたしてうまくいくのでしょうか?

そもそも、家庭が教育に責任を持つといったことがこれまであったのでしょうか?
少し、歴史を振り返ってみたいと思います。

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少し長くなりますが、教育学者の広田氏のインタビュー記事 [1]から引用します。

変化が起きたのはサラリーマンの原型が出てきた明治の終わりくらいです。幼い頃からいろんなことを覚え、学校教育で成功することで「よりよい仕事に就き、よりよい人生を送るチャンスを得られる」というライフコースができた。
 教育熱心な親は大正期から昭和にかけては、まだ社会のごく一部分の階層にいただけですが、1960年代の高度経済成長期に日本全体に広がりました。

子供は学校を卒業することで職を得て、働く。誰もが雇われて働く社会になって、同時に、それなりの豊かさが家庭の中で実現してきたとき、時間やお金をかけてきちんと子育てをする。そういう「教育する家庭」が社会に広がったのです。

――「教育する家庭」が広がる以前は、労働を通じて「一人前になる」考え方が普通だった?

 昔だと、男の子の場合、高等小学校を出た14歳くらいで家を出て、住み込みで働きました。女の子だと、7・8歳ぐらいで子守り奉公に出されたりしたケースもあったし、14歳ぐらいで女中奉公や女工として稼ぎに出ました。奉公先では、男の子の場合でいうと、最初は風呂焚きや掃除をし、いつの間にか仕事を覚えていく。何年間か見習いをやって、いずれ独立した。
今は学校に在学する期間が長くなっているから、「ここで切れ目」というのがはっきりしません。1974年くらいに高校進学率が90%を超え、90年代になると大学や専門学校への進学率が上昇し、昔だったら社会に出て自立せざるをえなかった年齢の青少年が、今では家庭の中でずっと親子関係を続けています。

日本で「教育する家庭」という親子関係ができた歴史はごく浅いようです。
庶民にまで普及したのは1960年代以降、せいぜい50年の歴史しかない。

そのきっかけは、学歴が市場社会の中での成功(立身出世)に結びつくという状況が生じたから。
貧困の圧力があった時代の中で、誰もが私権競争に参加する可能性が開かれたから。

しかし、70年代に入ると貧困の圧力は消滅し、残存していた序列原理も90年代バブル後にはほとんど無くなった。
つまり、「教育する家庭」の根拠が跡形も無くなってしまった。

現代の家庭に教育の力が無くなっているのもあたりまえでしょう。
むしろ、いままで家庭で教育したことは無かった と見たほうがよさそうです。

かつては、村落共同体の中で…、より具体的には若衆宿などで一人前になる前のいろいろなことを学び、その後は仕事を身に着ける中で成長していった。
第2次大戦後も義務教育の延長や高等教育への進学率の上昇の中で、教育は学校に委ねてきた。

学校教育を批判し、家庭に教育の責任を持っていこうとしても、家庭はそんな経験をしたことは一度も無いし当然能力も無い。

現代の親たちは、教育という大義名分の下で家庭という無圧力空間に子供が20年近くも居続けることがいかに特殊なことであるか を自覚すべきでしょう。

byわっと

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